激変してこそ企業寿命を延ばすシリーズ
<売上確保に四方八方奔走>
不良債権防止に最大の神経を使っていたのにもかかわらず皮肉なものだ。大林組は潰れないが、頭目の栄泉不動産が倒産した。同社にしてみれば工事ストップというワンクッション置いた焦げ付きだ。売上が立たずに大林組の回収手形が当てにならず、無念の自己破産の申請を選択した竹原社長の悔しさが目に浮かぶ。スーパーゼネコンは潰れなかったが、その先=発注先が行き詰ることを全く想定していなかったのである。
同社は未回収を阻止するために、販路をスーパーゼネコンに求めることで活路を見出した。2000年頃までは官公庁の工事が大半であった。しかも、受注の大半のエリアは北部九州で占めていたので効率受注ができていた。例えば九大病院の建設では、同社は鉄骨工事を含めて30億円以上の売上があった。本当に、良き時代に酔いしれていた。
ところが、公共事業の削減が急速化した。その穴埋めのために、九州一円を飛んで回ることを強いられるようになったのである。竹原社長は「全九州の大手建材商社が淘汰されたので、スーパーゼネコン側から『仕事を受けてくれ』と懇願されていたので引き受けた」と強気の発言をしていた。一面では正しいが、本音のところは仕事を欲していたのである。同氏は営業担当者が鹿児島に飛んでいく交通費まで目配りをしていた。利益を捻出するには、それだけ異常な神経を使う必要があったのだ。結果は赤字を背負ったが――
スーパーゼネコンをターゲットにした官需戦略で、①売上確保②焦げ付き防止③採算性の三重達成の思惑は2000年までは保たれていた。だが、その思惑が通用しない厳寒時代に突入したのである。
官公庁の工事が激変し、競争入札は戦いになった。その入札も叩き合いになり、ゼネコンも儲からない。赤字を余儀なくされる始末である。そうなると取引業者=泰平物産も利益を得るのは困難になってきた。官需減をカバーするには民間しかない。2000年前後までは商業施設の案件もそこそこはあった。時が過ぎて、民間受注もマンションしか目立たなくなったのだ。スーパーゼネコンがこの物件に傾倒してくれていたのは時代の趨勢となった。その流れに便乗して、マンションの案件に着手したのだ。確かにスーパーゼネコンであるから、仕事は安心してできていた。
だが大林組、竹中工務店という強大な2社が受注先とはいえど、デベロッパーからは無理を押しつけられる。単価の強要だ。利益がなければ泰平物産も仕事を敬遠しなければならない。1現場で2、3億という美味しい物件も断らなければならない事態が続出してきた。売上は欲しい、赤字を出せばアウトになる。二重三重のジレンマを潜り抜けてきたのだが、ついに万策尽きたのである。(つづく)
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