7日、09年度補正予算案の実質審議が始まった。舞台となる衆院予算委員会で、トップバッターに立ったのは自民党の町村前官房長官。答弁できないのをいいことに民主党の姿勢をこれでもかと攻撃すると、与謝野財務相も民主党の政策を「幼い」として批判、支持率が上昇する同党の鼻息の荒さをいやというほど見せつけた。
対する民主党の菅代表代行は、解散・総選挙を迫ることなく質問を終え、消化不良となった。かみ合わない議論にもどかしさを感じた有権者は少なくないだろう。焦点をぼかしたまま国会審議が続くことは、この国にとっての不幸である。補正予算にもとづく施策の効果を論じることも必要かもしれないが、重要なのはその財源だ。
西松建設による違法献金事件で、小沢代表の秘書が逮捕されてからの民主党は、何につけ精彩を欠く。しかし、15兆円にも及ぶ補正予算の審議で明確な対立軸が作れなければ、同党の存在意義は皆無となる。逮捕・起訴された小沢代表の秘書についての政治資金規正法違反については、司法の場で白黒がつくのであるから、恐れずに踏み込んだ議論を行なってもらいたい。対立軸、つまり議論の焦点はズバリ「国債発行の是非」だろう。
政府・与党は、「100年に一度の経済危機」を合言葉に、なりふり構わぬ「バラマキ」に打って出た。小泉政権時代に凍結されたはずの高速道路建設にまでゴーサインが出たが、なぜか批判の声は少ない。危険な兆候である。急ぐ必要のない道路だからこそ凍結されたのだろうし、道路公団をめぐる騒ぎの折は当時の小泉元首相を支持したはずの大手マスコミや有権者も、高速道路復活についてそれほど騒いでいない。一時的なバラマキで現在の経済状況が好転するとは思えないし、ついこの間までは「無駄な公共事業」は国民の敵だったはずだ。経済危機だから何でもありでは国はもたない。
日本経済は、高い技術力に裏打ちされた製品を輸出することで成長を遂げてきた。欧米諸国の経済が疲弊する中、輸出関連企業の業績がよくなる見込みは立っていない。内需型経済の振興を叫んでも、産業構造の転換は一朝一夕では成しえないし、一時的な措置ではなおさら無理だろう。なにより国民の不安は、「年金や雇用」といった将来に対するものであり、そこに展望が開けないからこそ財布の紐を堅くしていることを忘れてはならない。だからこそ、将来に重い負担だけを残す「国債」依存の経済対策ではダメなのだ。
国債発行は麻薬である。一時的に効果をもたらすことがあっても長続きすることはない。禁断症状が顕在化したため国債発行額を抑えてきたはずなのに、いつの間にか選挙対策用予算に利用されようとしている。麻生首相は大型補正による「景気の底割れ防止」を説くが、巨額な借金を財源に充てて急場をしのいでも、いずれは国民に支払いの義務が回ってくる。さらに、大半の債務を次世代に押し付けることになるため極めてたちが悪い。
09年度の新規国債発行額は、補正分を加え44兆円を超える。税収が予想の約46兆円を下回るのは必至の情勢であり、そうなれば借金が収入を上回る事態も予想される。一般家庭でいえば、破産への道まっしぐらといったところである。収入以上の借金(国債発行)が可能なのは、国内での国債消費が続いているからこそできる芸当である。しかし、正常な財政状態ではない国の国債は、いずれ暴落する。一歩間違えば、国家の破産である。日本の国債発行残高・借入金などは800兆円を軽く超えている。地方債を合わせると1,000兆円にものぼる借金大国だ。先進諸国では最低の財政状態なのに、それでも目先のことに捉われて大盤振る舞いを許すというのだろうか。答えは「NO」でなければ、次世代の人たちが国を支えようという意識は薄れるだろう。
今、有権者が見据えなければならないのは、麻生さんがいいか小沢さんがいいかといった次元の問題ではなく、借金を増やさずに、いかに100年に一度の危機を乗り切るか、についての処方箋である。そう考えてくれば、過去最大の借金で綻びを繕う手法について、賛意を表す気持ちにはなれないはずだ。
もちろん民主党の対案についても、その財源の信憑性について吟味しなければなるまい。財源があやふやなままでは、選択の余地がなくなるからだ。2年間で21兆円という民主党の経済対策は本当に可能かどうかも問われている。民主党の主張通り、国債発行ゼロ、埋蔵金や無駄な経費の削減で実現できるという確固たる根拠があれば、100点満点ではないが、民主案に賛成したい。政府・与党と民主党の経済対策の違いは、なんといっても財源をどこに求めるかなのだ。重ねて述べるが、借金=国債発行は愚策でしかない。
民主党は、国債発行を許すのか否かの一点にかけて国会審議を展開すべきである。それができなければ政権交代の意味はない。
【頭山】
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