「どうすれば保育所に預かってもらえるかしら?」
保育所(園)、幼稚園の申し込みシーズンを迎える毎年11月ごろ、未就園児を持つ母親たちの間では、この話題で持ちきりになる。記者の身近で繰り広げられる「井戸端会議」を再現しよう。
母A「うちの子も2才になったし、できたら保育所に預けたいんよね~。そろそろ自分がゆっくりする時間も持ちたいし」
母B「専業(主婦)やし、保育所は無理でしょ~」
母C「(入所)申し込みのときだけ知り合いに頼んで、勤務証明書をもらったら~?私の友達なんか、親戚の会社に就職したように見せかけて、勤務実態のない人もいる」
母A「マジ~?!実家の農業を手伝ってることにしよう!」
チャレンジむなしく、「待機児童」に決定。後日・・・
母A「家から一番近いX保育園に申し込んだけど、ダメだった。0・1・2才児は特に厳しいらしい」
母B「X園は、新設園で園舎もキレイやし、『子育て支援』が売りやもんね」
母A「園児の汚れ物の洗濯までしてくれるって~。洗濯しなくていい分、子どもと触れ合ってください、ってことらしい。(午後)8時までの延長保育もあるし、晩御飯も、お願いしとけば、軽食を食べさせてくれるって」
母C「至れり尽くせりや」
一同(笑)
母A「区役所から、“第2希望のY保育園は空きがあるからどうですか?”って言われたけど、駐車場が少ないし、だんなの勤務先とは反対方向で、送り迎えが頼めない。それにさぁ、Y園、『弁当の日』とかいうのがあって、時々、弁当がいるんだって。保育園の意味なーし!」
母B「でも、Y園断ったら、家で見る(育児する)しかないやん」
母A「もー、勘弁して欲しいわ~」
母C「満3才になったら、幼稚園に行かせればいいじゃん。園によっては、2才児対象のプレスクールもあるらしいよ」
母A「幼稚園は早く帰ってくるし、弁当もいるでしょ~」
母C「ほとんどの私立幼稚園は、子育て支援の一環で『預かり保育』っていうのをやってて、平日は夕方5時ごろまで預かってくれるし、夏休みや冬休みも、保育園並みに預かってくれるよ。それに幼稚園でも、最近は、給食のあるところがほとんどよ」
母A「マジ~?!ちょっと、調べてみる!」
もちろん、ご紹介したのは、保育所を利用(しようと)する保護者のごく一部のケースである(ただし実話)。大多数の保護者は生活のため、あるいは自己実現のため、必死に働いている。その点は、断っておきたい。
さて、ご承知の通り、保育所(園)は厚生労働省、幼稚園は文部科学省と、所管する国の機関も違えば、それぞれが果たす役割や内容も異なる。しかし、一部の利用者にとっては、同じ「子育て支援施設」。「こっちがダメなら、あっち」くらいの感覚である。互いの壁がなくなってきたことで、利用者の選択の幅が広がり、支援を求めやすくなったと言う点では、評価できるかもしれない。
複数の保育所(園)・幼稚園の経営者から、同じような話を聞いた。「子育て支援の名の下に、親から子どもを奪い、子どもから親を奪おうとしているのが、いまの『子育て支援』。人間に本能として備わっている『子育て力』を、国を挙げて消失させようとしている。しかしながら、私たちもそこに加担しているわけで、なんら非難することもできない。このひずみは、そう遠くない将来、確実に表れてくる」。
そもそも「子育て支援」とは、少子化と地域の結びつきが希薄化する中で、子どもが子ども同士の中で「育ちあう」場を創出することだ。そして、子どもの成長に合わせて、親が親として育つように支援することを第一義としていた。しかし、いまの支援対象の主体は「子ども」ではなく、「親」。「楽しく子育てしよう」⇒「楽しくなければ子育てじゃない」⇒「楽しくないから、人に育ててもらおう」という間違った意識を助長する「子育て手抜き支援」という情けない制度に成り下がっているのだ。
しかし、この「子育て手抜き支援」が、子育てを放棄した保護者から子どもを守る「最後の砦」になっている事実も否定できない。「待機児童の増加」は、そうした「子育てできない親の増加」という側面があることも忘れてはならない。
【山本 かほり】
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