博多港開発(株) 代表取締役社長 酒井 勇三郎氏
福岡市の都市力がまだ、脆弱だった約50年前、行政だけでは困難な港湾整備に民間の力を活用しようと福岡初の第3セクター、全国的にも先駆けとなる株式会社方式の港湾整備会社として設立。以後、博多港開発(株)は須崎ふ頭の埋立事業を皮切りに、港湾整備事業を通じて福岡の都市力アップに貢献してきた。その港湾開発事業のこれまでと現状、さらに今後の課題を踏まえ、同社が果たしてきた役割、今後に期待されることなどについて、酒井勇三郎社長に語っていただいた。
博多港の約半分を整備
――最初に手がけたのが、62年1月に着手した須崎浜地区埋立工事ですね。
酒井 はい。須崎ふ頭が整備されたことで、国内外から穀物を受け入れる機能が博多港に整いました。また、都市づくりに欠かせない鋼材やセメント、砂などの荷揚げ場所としても須崎ふ頭は機能してきた。そのほかにも、64年1月に荒津地区、69年10月に箱崎・香椎地区、76年5月に博多船溜・那の津地区、82年4月に小戸・姪浜地区、86年2月に福浜地区、89年7月に東浜地区、94年8月にアイランドシティ地区、95年1月に箱崎ふ頭地区と、次々に埋立事業に着手してきました。現在の博多港の埋立面積は約1,500haにのぼりますが、約半分の774haの埋め立てを当社が手がけたわけです。
――残りの半分は?
酒井 それは福岡市の事業として行われてきました。そもそも、港湾整備の計画を立てるのは行政であり、その計画に従ってどの地区を当社が埋め立てて、どの地区を行政の事業として埋め立てていくかが仕分けされます。その意味では、当社は行政と一緒に博多港全体を整備してきたといえるでしょう。
――福岡が大きく成長していく中、民間が港湾整備を担っていくメリットについては?
酒井 確かに、当社が設立されて以降、福岡の都市力はどんどん高まっていきました。しかし、10年、20年という長期的なスパンで計画され、事業そのものも長期間に及ぶ港湾整備を行政が行なうと、予算主義、単年度主義に縛られ、硬直化した事業スキームになってしまいがち。その点、民間であれば単年度の予算に縛られずに、柔軟な対応ができるというメリットがあります。事業計画に基づいた資金調達さえできれば、今でも港湾整備は民間で行なった方がいいところがあると思っています。(つづく)
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