民主党の小沢一郎代表は11日5時から、09年度補正予算案の審議終了後に代表を辞任することを正式に表明した。これを受け、民主党福岡県連は急きょ記者会見を開いた。
席上、県連の助信幹事長は、「小沢代表らしい決断であり、国民のために正しい判断である」としたうえで、辞任によって総選挙の機運が高まり、民主党にプラスに働くとの期待感を示した。また、代表辞任によって、民主党は国民の声を聞く党だと国民に受け止められるだろうと述べる一方、次期代表については、経験と能力があり挙党体制が実現できる人がふさわしいと注文をつけた。
小沢代表辞任について、「遅すぎる」「なぜ今頃」という声とともに「当然だ」との声も聞こえてくる。大手マスコミの報道内容は、民主党にとってはプラスかマイナスかのものばかりである。こうした傾向に、あえて疑義を呈したい。
小沢代表は記者会見で「今回は政治的な責任で身を引くわけではない」と記者の質問に答え、辞任の理由はあくまでも「次期衆院選での必勝と、政権交代の実現に向け、挙党一致の態勢をより強固にするため」である。つまり、総選挙の勝ち負けが、判断の基準であり、そのための錦の御旗が「政権交代」というわけである。少なくとも、会見で小沢代表はそう断言した。その言葉におそらく嘘はないであろうし、心底からの言葉であったに違いない。心情は理解できるが、だからこそ問題なのである。政権交代に固執するあまり、「国会審議」という最も重要なことが二義的なものになってしまったのだ。
西松建設事件で秘書が逮捕されてから、2か月以上が過ぎた。3月末には代表続行への同意を党内で取り付け、総選挙に向けての態勢作りに取組んできた小沢代表は、「政治資金の問題については一点もやましいことはない」として今日まで代表を続けてきた。しかし小沢代表の秘書逮捕以来、民主党は、腰が引けたような国会対応である。少なくとも多くの国民は、09年度補正予算案に対して、明確な対立軸をもっての積極的な論戦を期待していたに違いない。その姿が「政権政党」としての能力と資質を明らかにしていくことにもなるからに他ならない。しかし現実はそうではなかった。逆に自民党に押しまくられ、積極的に対案をぶつけるどころか、党内から「小沢代表は説明不足だ」「これでは総選挙は戦えない」との声が上がる。小沢代表の足元をぐらつかせた最大の原因は、党内から起こる辞任への圧力だった。これは、「国民の声」を借りた党内からの泣き言でしかない。まさに自民党、検察・大手マスコミといった「権力」による攻撃に屈したのである。こうした事態を百戦錬磨の小沢氏が予見できないはずはないし、「嵐が過ぎる」のをじっと待っていたわけでもないだろう。
小沢代表は、西松建設事件の責任をとって辞任するとは言っていない。秘書が逮捕されたから議員本人も辞任するというのでは、「推定無罪」の法理論からいっても正しくないことは確かだ。
民主党の代表は、その短い党の歴史をみても、結果責任を取って辞めたのは岡田克也元代表ぐらいであろう(05年郵政選挙時)。その他はいずれも、党内の人事抗争か、あるいは「偽メール」事件に見られる未熟さによってである。だからこそ小沢代表には、民主党が政権を担いうる政党として成長したことを具現化させるという使命が課せられていた。
いま国会は09年度補正予算案の審議中である。この補正予算案は「消費税増税」という「質草」を隠したばら撒きのオンパレードであるうえ、財源は国債、即ち「借金」である。この予算案に対する明確な対立軸と、政権奪取に向けた方向性を国民に示すことが民主党に求められていた。今度の国会論戦こそが、来るべき総選挙での政権交代の帰趨を決するものだったはずだし、15兆円にものぼる税金の使い方を徹底的に追及することこそ民主党が訴えてきた柱だった。その戦いの最中に代表が辞任表明するということは、前代未聞の出来事である。
小沢代表は記者会見で、「国民生活への影響を最小限に抑えるために、09年度補正予算案の衆院での審議が終わるのを待って、速やかに代表選を実施してほしい」と述べ、補正予算案審議には影響がないことを強調した。事実上抵抗しないことを宣言したようなものだ。「国民の生活が第一」を掲げて政権交代を訴える民主党が、目の前の重大な戦いを回避するようでは、政権交代は逆に遠のいてしまうのではないか。
「政権交代の実現」という言葉には、権力闘争への視点はあるものの、国民の目線ではないといってもよいであろう。「政党は政権を目指すものだから当然だ」との反論もあるだろうが、いま問題なのは、民主党が自民党とどのように違う政党なのか、いかなる政策と理念、体質をもった政党なのかを鮮明に打ち出すことである。国民は、こうした点を抜きにしての「政権交代」を望んでいるとは思えない。
「西松建設事件での責任をとっての辞任ではない」というならば、あえて小沢代表のままで補正予算案の論戦を行い、明確な対立軸のもとで「政権交代」を目指すという道を選択してもよかったのではないだろうか。
「政権交代のために身を引く」という小沢代表=民主党の論理を、国民がどう判断するのか。今度の総選挙の新たな争点になったことを指摘しておきたい。
【武田】
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