虚構のなかでマネジメント
2009年2月、『地方を殺すのは誰かー立ち上がれ、圧制に苦しむ地方の経営者よ!』を著した岩崎産業代表の岩崎芳太郎氏。強烈な本のタイトルの裏側には、中央に対する批判のみならず、声を上げない地方経営者に対する檄の意味も込められているようだ。そんな岩崎氏の想いを存分に語っていただいた。
所在地:鹿児島市山下町9-5
創 業:1923年5月
設 立:1940年4月
資本金:39億円(グループ全体)
年 商:(08年度)約530億円 (グループ全体)
―時代が経つにつれて、経営のあり方もずいぶん変わったのですね。
岩崎 日本は戦後の復興期があり、一定の安定期があって、この間はパターン化されたなかで経営者は事業をしてきました。それが第二世代、第三世代になったときに、復興期にかかわった人たちの原点や価値体系を引き継げなかった。そのため、大企業のサラリーマン社長や官僚もひっくるめて、こんな様(ざま)ない日本にしてしまったのです。
日本は戦後復興のなかで、何らかの思想をもった経営者が皆、己がこととして経営努力してきた。その意味で、言い方は悪いですが、今日的にはどんな大企業の偉そうなサラリーマン社長でも尊敬に値しないと思っています。一人ひとりは人格者もたくさんいるでしょうし、経営者としての能力も高いのでしょう。
でも、私が尊敬しないというのは、自分にとって参考にならないからです。彼らは、その人並みはずれた能力を投資家の奴隷として使っているだけですから。
それよりも、地方のどんなに小さな企業でも「こんな考え方を持っているのか」と思えるような経営者たちはたくさんいます。そういう方たちの話がよほど参考になります。
―どうしても世間では大企業の方が良いイメージを持たれます。
岩崎 そもそも、私利は公益の素なのです。それが今は、資本家に対する日本独特の悪徳商人のイメージ、大企業のサラリーマン社長の方が立派だという間違ったイメージがついている。しかし、これはすべて逆なのです。虚構のなかでこの国はマネジメントされています。
体制のなかで力があると思われている人たちは、所詮はその人の行動する力は、その人が、体制側の人間だからです。それ自体を僕は否定しません。その人だって私利のもとで動いているわけですから。ただ、その人たちの私利は公益につながるルールを曲げています。それが許せないのです。本来はまっとうに戦うべき存在が反則を犯し、その一方で負け組のヒール役がまっとうに戦っているだけの話です。
トクヴィルに言わせれば、民主主義化すると市民がアトム化(究極の細分化)するらしいです。要するに、自分と自分の家族さえ良ければ良いということです。
本来、平等な社会というのは、どんな特権階級も許さないというムードになります。政治家も霞が関も特権階級ですが、特権を与えないと国が運営できません。ただ、それは私するための特権ではありません。
~つづく~
【大根田康介】
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