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産業活力再生法を申請するパイオニア 遅きに逸したテレビ事業からの撤退(下)
東京レポート
2009年5月26日 08:00

薄型テレビの開拓者

中途採用組の石塚氏があまりに突出したため、長男の誠也氏(当時、副社長)や二男の冠也氏(当時、専務)の影は薄かった。石塚氏の死後、創業者の望氏は、世襲・同族経営へと軌道修正をはかる。
 3代目社長は創業者の長男で14年間社長を務めた松本誠也氏(82~96年)。4代目は創業者がスカウトしてきた伊藤周男氏(96~2006年)。創業者の夫人の姪と結婚して姻戚関係にあたる。創業家の一族だ。将来は、誠也氏の長男の智氏(パイオニア常務)への大政奉還が考えられていた。
 伊藤社長時代の1997(平成9)年12月、パイオニアは世界で初めて50型プラズマテレビを発売した。パネルを自社生産できる数少ない国内メーカーの1つで、お家芸であるオーディオを搭載した高品質は高い評価をうけた。2000年に国内プラズマ市場のシェアは首位になった。
 しかし、今世紀に入ると、液晶、プラズマによる薄型テレビ市場の低価格競争は激化。パイオニアは、ブランド力を過信し、低価格競争とは一線を画して価格を高めに設定した戦略が裏目に出てシェアは急落、テレビ事業は04年から赤字に陥った。

中興の祖の遺言

 2006年1月、業績不振の責任を取り、創業者の二男の松本冠也会長と伊藤周男社長が引責辞任。創業家から再建を託されたのが、後任社長の須藤民彦氏(06~08年)。勝負がついたテレビ事業からの撤退という英断が期待されたが、そうはしなかった。
 須藤社長が採った策は、プラズマパネルの自社生産から撤退するが、小型液晶に転換して薄型テレビを続けるというもの。プラズマから液晶に切り替えるという小手先で、危機を乗り切れるわけがなかった。大赤字のテレビ事業から撤退しなかったのは、プラズマテレビに社運を賭けた創業家一族の意志に呪縛されていたためだ。
 パイオニアがテレビ事業から全面撤退するのは、小谷氏が新社長になってから。振り返れば、創業家一族が引責辞任したときが、撤退のチャンスだった。決断が3年遅すぎた。その代償が6年連続の当期赤字だ。
 中興の祖である石塚庸三氏は「ウチのような企業体力のないところが、(金喰い虫の)テレビに進出したら、間違いなく失敗して会社がなくなる」と明言していた。
 パイオニアはプラズマの薄型テレビで失敗して遺言通りになった。
(了)

【日下淳】

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