福岡商工会議所 常務理事 南里 勝利 氏
全国で6番目の商工会議所として1879年10月13日に創設された福岡商工会議所は今年、創立130周年の節目の年を迎える。これまで地域活性化のために“行動する商工会議所”として、さまざま支援活動を展開。今年は130周年の記念事業の一環として、アイランドシティでのウォーキング・ラリー開催など、より身近な存在として商工会議所をアピールする。その福岡商工会議所と博多港の関わりについて、南里勝利常務理事に語っていただいた。
特定重要港湾指定を国に要望
――福岡商工会議所は130周年におよぶ歴史の中で地域の商工事業者とともに歩み、街の発展を見守ってこられたわけですが、博多港との関わりも随分と深いのではないのでしょうか。
南里 博多港は金印の時代に遡る、アジアに開かれた玄関口としての長い歴史をもった港です。その博多港が近代貿易港としてのスタートを切ったのは1889年に特別輸出港の指定、さらに99年の開港指定を受けてから。福岡商工会議所が創設された10年後、20年後のことです。中世・博多の歴史を紐解くまでもなく、博多の街は商人の街として栄えてきたという歴史があります。そうした中、商工会議所の会員企業の中にはアジアとの交易の中で事業を行なってきたというところも少なくありません。その意味では、当会議所と博多港との関わりは密接だったといえるでしょう。
そんな博多港が現代港湾として歩み出したのは、行政だけでは困難な港の整備を民間の活力を導入して進めていくために61年10月、福岡初の第3セクター方式の港湾整備会社・博多港開発㈱を設立し、港湾整備が本格化してからのことです。とはいえ、当時は全国的な工業化の流れの中で工業都市づくり、産業育成づくりの一環として臨海部の埋め立てが推進されましたが、福岡の場合は水の問題があって工業化を断念。商業都市としての港づくりを進めてきたという経緯があります。その点、博多港は日本の工業化以前の港づくりを行なってきたといえるのではないでしょうか。
その博多港が急成長を遂げる契機になったのは、90年に国の特定重要港湾の指定を受けてから。その指定に向けては、当会議所としても国に対する要望活動に取り組みました。博多港が特定重要港湾に昇格できた要因のひとつは、地域とともに歩んできた唯一の公的団体からの要望ということで国に重く受け止めていただいたからだと思っています。
(つづく)
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