<方向転換は決断できたはず>
宏さん!!貴方の歓喜に満ちた顔が瞼に焼き付いています。2年前、2007年3月期に完工高100億円を突破した時です。「共同事業分の20億円をプラスして100億円の大台に乗った。来期の100億円は無理だが――」と語りましたね。たしかに、地場の業者として『100億円突破』は勲章です。昔(1986年か87年)に「福岡にようやく100億円企業が登場した。そのトップを切ったのは東建設」と『福岡地区ゼネコン市場調査』でレポートしたことがありました。
あとになってのエピソードですが、東建設の東正信元社長が「コダマさんから100億円企業の誕生と持ち上げられて売り上げを落とすわけにはいかなくなった」と心情を披露してくれたことがあります。相当、プレッシャーになっていたようです。その後、この会社はそれから3倍以上、売り上げを膨張させました。結果、倒産したのは周知の通りです。当時、宏さんは「売り上げを上げるのは経営の目的ではない。内容を良くすることが経営者の使命だ。マンション主体の工事では絶対に歪みがくる」と予測されていました。しかし、そうはいっても、やはり100億円のゼネコンになってしまうと、経営者としては自己陶酔に浸る資格は十分にあります。当然の心情です。
第一次バブルの時を振り返ってみましょう。マンション下請けをせずに、官公庁・一般民間受注で40~50億円の規模で経営されていました。当時の方が高松組ははるかに資金面では余裕があり、内容も充実していたと思いますよ。逆に東建設、続いて高木工務店(完工高150億円突破)、橋詰工務店(80億円)と、マンション受注に傾倒した業者等は高松さんよりも後発です。宏さんも内心で焦ったかもしれません。ですが、全部、お終いになりました。宏さんの選択は正解だったのです。
<100億円から一転、奈落へ>
この第一次バブルの教訓を社内で徹底すべきでした。97年に社長に就任した宏さんの颯爽とした風貌が懐かしいです。第二次バブルの芽が芽生える時期でした。社内で議論を重ねて、「会社を進展するためにはマンションに力点を置く」方向の大綱が決定されたのですよね。ここが一つのターニングポイントだと思います。このシリーズ最終コーナーで述べますが、『21世紀のゼネコンが、ただの請負で生き残れるか』のテーマで社内論議を真剣に深めていただきたかったのです。
07年期100億円の栄誉をいただいた以降、高松組には『不可抗力の負の連鎖』が押し寄せてきました。大木町町議会長逮捕の連座もその一例です。「これは冤罪です」と前回、指摘しました。異議申し立てせずに下された処分に身を任せましたね(私は『筋を通す闘いをやるべき』と勧告しました)。この冤罪事件の対応ぶりにも、高松さんだけでなく建設業一般が『お上に弱し』という体質を示していました。この軟弱ぶりでは、業界は必ず沈没すると断言できます。
気概があれば『奈落へ』をストップできたと思います。同じ連座冤罪を受けた建設会社の姿勢です。営業停止解除の日、宏さんに電話しました。ところが、貴社の解除日は少し長かったので、当日はまだ制裁の日でしたね。そのあとで冤罪組の会社の営業本部長に電話しました。「おめでとうございます。今日で営業停止解除になりますが、頑張ってください」と激励したのです。どうでしょう。この営業本部長は意気軒昂でした。「コダマさん!!馬鹿らしいよ。もう二度と官公庁の入札には加わらない。今、鹿児島に向かっている。RCアパートの勉強会に参加する予定だ。この受注は楽しみにしている」と。官公庁バイバイ宣言をしているのです。
(つづく)
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