二代目社長の永井時義氏が2005年4月に逝去したことで、一旦は同氏の次弟である永井日出夫・熊本支店長の息子である剛氏が三代目社長に就任。だがその体制は長くは続かず、06年6月には時義氏の妻である永井節子氏が四代目の社長に就任した。
今回の休業宣言は節子氏の独断だったようだ。福岡は今後の受注予定も少なく、採算割れの状況だった。このままでは赤字が膨らむばかりだと考えた節子氏は、「今年5月に大牟田や熊本に相談したが、協力が得られなかった」という。その結果、被害が最小限に済む方法として休業を選択した。こうして、同じ会社でありながら福岡は休業、大牟田と熊本は事業継続という奇妙な状況が生まれた。
(つづく)
【緒方 克美】
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