電永社が形式上は一つの法人ながら、福岡・大牟田・熊本が独自に動いていたことをあらわす象徴的な出来事があった。あるゼネコンの社長は電永社が休業したことを聞き、取引があったはずと慌てて確認をとった。ところが取引先に電永社の名前が出てこない。調べてみると、電永社の大牟田支店には関係会社があり、そこが受注窓口になっていたという。福岡で電永社とのつきあいがあったため、大牟田の物件でも電永社と取引しているつもりだったようだ。
二代目社長・時雄氏が、2人の弟に独立心を持った支店運営を求めたことから始まった組織体制と聞かれるが、取引先にとっては迷惑な話だろう。
【緒方 克美】
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら