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サントリーとキリンの統合は成るか 最大のハードルは、サントリー創業者一族の同意(1)
東京レポート
2009年7月15日 15:37

 「キリンとサントリーが統合」。13日付の日本経済新聞がスクープした、キリンホールディングス(株)(加藤壹康社長)とサントリーホールディングス(株)(佐治信忠社長)の経営統合交渉をめぐって、食品業界は沸き立った。業界地図を塗り替える超弩級の再編だ。

「対等」を強調

 売上高規模は、キリンホールディングス(以下、キリンHD)が2兆3,035億円、サントリーホールディングス(以下、サントリーHD)が1兆5,129億円。統合といっても、力関係から、キリンがサントリーを買収するのが実態だろう。キリンの狙いははっきりしている。「三菱食品」構想だ。キリンHDを核に、ビールのキリンビール、清涼飲料のキリンビバレッジ、ワインのメルシャンに、物流や調達で提携しているサントリーHDを加えて、ビール・清涼飲料・ウイスキー・ワインで圧倒的なシェアを確立するという構想だ。
 それにしても、業績好調なのに、なぜ佐治社長は企業風土がまったく異なるキリンの傘の下に入るような決断をしたのか。最大のミステリーだ。
 「酒の醸造には時間がかかり、短期的な利益を要求される株式公開になじまない」として、非上場を貫いてきたのがサントリーである。その成果が、参入から46年目の08年12月期に黒字化を果たし、国内シェア3位に浮上したビール事業だ。
 サントリーが株式を上場していたら、不採算のビール事業はとうの昔に撤退に追い込まれていた。長期にわたるビール事業の育成は、非上場で同族経営だからこそ可能だった。
 上場会社のキリンHDとの統合は、公開リスクがつきまとう。株価に左右され、中長期的視点で事業を育てるというサントリーの特色である独特な経営手法を失うだろう。にもかかわらず、佐治社長は脱・同族も辞さない構えで、キリンとの統合に臨む。
 日経の報道によると、佐治社長は「対等の立場で合意を目指す」と述べている。そう語ったのには訳がある。「対等」を強調しなければ、創業家一族がまとまらないためだ。サントリーは、「鳥井・佐治商店」と言われるほど家業意識が強い。統合の実現は、創業家一族に「脱・同族=統合」のメリットを納得させられるかどうかにかかる。

宣伝のうまさに定評

 サントリーの創業者は鳥井信治郎氏。大阪の両替商の家に生まれた。1899年、20歳でブドウ酒を輸入販売する鳥井商店を創業。ブドウ酒を売るうちに、いっそ自分で作ろうと考えて本格ウイスキーに挑戦。1929年に「サントリーウイスキー白札」を出した。太陽を示す「サン」に、鳥井の姓をつけて「サントリー」とした。
 昔からサントリーの宣伝のうまさは抜群だった。信治郎氏は「赤玉ポートワイン」を発売する際、わが国初のセミヌードのポスターを登場させ、世間を驚かせた。モデルの女優が持ったワインの赤がなんとも鮮やかだ。
 戦後は二代目社長の佐治敬三氏が、無名時代の開高健氏、山口瞳氏、柳原良平氏らを宣伝部に迎えて、サントリー宣伝の第二次黄金時代を築いた。「トリスを飲んでハワイへ行こう」とか、しゃれた小冊子「洋酒天国」などは一世を風靡した。
 信治郎氏が後継者として育てた、長男の吉太郎氏が31歳の若さで急逝したため、母方の親戚の佐治家の養子となった次男の敬三氏が事業を継承。1960年、自宅で静養中だった信治郎氏は、ビール事業への進出の決意を告げに来た敬三氏に「人生はとどのつまり賭けや、やってみなはれ」と申し渡した。晩年もベンチャー精神は衰えなかった。
 サントリーは社会貢献やメセナ(企業の芸術支援)など、文化的活動でも評価が高い。信治郎氏が会社の利益を3つに分け、3分の1は社会に還元すべきとする「利益三分主義」を唱えたことに基づく。音楽の殿堂・サントリーホール、サントリー美術館の運営、サントリー学芸賞など幅広い活動を行なっている。

~つづく~

【日下 淳】


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