尾中氏は「たぬ久」の業態を居酒屋業態に変更し、もつ鍋を中心に据えて再起を図った。10代で業界に飛び込み、必死で働く尾中氏は、中洲の大人たちに助けられた。特に人柄に定評があった父・茂信氏の人脈からは「面白いやつだ」と、ことさらかわいがられた。
こうした活動やメニューが評判を呼び、次第に顧客が増え、月商はかつての2倍に増加した。「なんとかやっていける」という手応えを得た。このころ、飲食店経営に最も重要なものが何かに、気づくことになる。「当初は、当然メニューだと思っていました」。おいしい料理を提供すれば顧客は増える。当たり前のはずだった。ところが、「どんな高級料理でも、一緒に食べる人次第で味が変わってしまう」のだ。たとえば、「とても怖い上司に叱責された後で、その人と同席しては、とてもおいしく食べる余裕はない」。メニューは当然大事だが、一番大事なのは「人」との関わりであるということを身をもって思い知らせれた。これは後に社員からも知らされることになる。
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