自民党にとってプラスになるはずだった東国原宮崎県知事の出馬騒ぎは、ただ同氏への不信を招いただけでなく、有権者の自民党離れを加速させた。都議選惨敗の一因とも指摘される東国原騒動は14日、古賀誠選対委員長の辞任、麻生降ろしの再燃という激しい副作用まで生じさせた。背景には、政党による安易なタレント担ぎ出しがあることは間違いあるまい。
東国原知事の誤算は、自身への人気が「政治家・東国原」へのものだと思い込んでいたことに起因する。東国原知事は、前知事の贈収賄事件を受けて行なわれた宮崎県知事選で初当選した。言うならば、政治や行政の「プロ」に対する信頼が失われたところに、素人だがタレントとして人気のあった東国原氏が登場した形だ。県の象徴とも言える知事には、タレントでも意外とまじめに勉強していた東国原氏のほうがましに映ったのだろう。事実、同知事は当選後「タレント」であることをフルに生かし、数々の宮崎ブランドを全国区にしてきた。しかし、一連の動きを見る限り、国会の赤じゅうたんを踏みたくて仕方がなかっただけとしか言いようがない。
宮崎県が全国の注目を集めたことは評価に値する。しかし、県の知名度が上がったからといって中小企業や商店が潤ったわけではないという指摘もある。4年間の任期を全うしてこそ、政治家としての評価が可能になるのであって、知事に限界を感じたから国政に転身しますという理屈は通らない。お笑いタレントと知事というギャップにマスコミが便乗した「作られたヒーロー」だったのではないだろうか。その人気に、さらに便乗しようとした古賀選対委員長は、東国原知事から出馬と引き換えに総裁の座を要求され、自民党の権威失墜を招いた。実は知事就任前、東国原氏の「そのまんま東」というタレントとしての人気はとうに下り坂になっていた。東京の有権者はそんなことは百も承知で、知事でなければ話題にもならなかっただろう。誤算だったというなら、古賀氏の行動ははあまりに軽率、お粗末という他ない。
タレント候補という言葉は数十年前から存在するし、それなりに得票数アップに貢献してきたことは事実である。しかし、政党が安易に「看板」として彼らを使い、有権者をごまかそうとする姿勢には根強い批判が存在する。もちろんタレントが政治家になってはいけないというわけではない。しかし、「これから勉強します」という程度のタレント候補が、人気だけで国会議員に当選する現状は見過ごすことはできない。政党の堕落でしかないのだ。東国原知事には気の毒だが、今回の出馬騒動はその象徴として捉えられてしまったのではないだろうか。その結果が東京都議選に影響を与えたこともまた事実だ。
自民党が政権を失うことになれば、両氏の「誤算」が政治史に残ることになる。
【秋月】
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