<住民至上主義>
昨日21日、自民党国会議員団の解散総選挙の決起大会を目撃したある経営者が、次のように語ってくれた。「何だ!!あの中川直秀代議士の軟弱ぶりは。徹底的に戦い、新党の旗を掲げる気迫もないのか。中川も駄目だが、分裂するエネルギーもない自民党は終わった」と酷評する。この経営者は、もともと熱狂的な自民党支持者だ。この例でも自民党の議員たちは、少しどころではなく大きくピンボケしている。国民の意識に対して、理解不能の状態に陥っているのである。このシリーズで指摘している通り、日本人の気質は変化している。過去においては常識的な手打ちに納得していた国民の大半が、「茶番劇」と批判するようになった。
竹原市長は市長選において、(1)住民本位の市政運営(2)市職労の事務所を撤去(3)住民のための100%情報公開を掲げて登場した。市議会は、この竹原市長の政治姿勢を「前例がない」と反発して不信任決議を提案し可決。即座に議会を解散した。選挙後の市議会は再び市長不信任案を可決。失職した竹原市長は2度目の市長選出馬を余儀なくされる。以前なら「短期間に市長選挙を二度も行なわせる揉め事好きな市長は辞めさせろ!!」という常識的判断が下され、市民からレッドカードを突きつけられていただろう。ところが阿久根市の場合には、市民は二度も竹原氏を市長に選んだ。揉め事好きな竹原氏を堂々と市長に選ぶという背景には、「水面下で地殻変動がある」と推論を立てるべきだ。
そして、7月17日の市議会で「80万円の給料を48万円に下げること」案件が可決された(ただし、竹原市長が就任期間中という条件付き)。この行為に対して、従来ならば「大衆迎合のパフォーマンスをする政治屋」と反発を受けていただろう。また、「組合事務所を封殺する暴挙は、自治労潰しの右翼市長」という予断を持たれていたはずだ。はたして、阿久根市民は間違って、そんないかがわしい輩に市長のポストを託したのだろうか。
会ってみれば竹原市長は、中肉中背に普通の人だ。右翼民族主義者みたいなムードを漂わすことは微塵もない。「私は、ただ阿久根市民のために尽くすことこそが市長の使命と思っています。まず何よりも、阿久根市の行政情報をすべてオープンにすることが市民への第一級の義務です。すべての情報を公にし、市民に判断を仰ぐことが間違っていますか。210名の市職員は市民の納税金で飯を食わせてもらっているのですよ。ご主人さまに給料の実情を公開して何が悪いのですかね。面白い事実があります。市職員の専門分野の給料をオープンにするときに、職員たちはブツブツと不満を言っていました。また、マスコミなどには反対意見の論調もあったようです。情報開示された以降はまったく平穏そのものでしたし、2回目からは職員側から資料を提出するようになりました。人間の行動心理は面白いですね」。
竹原市長の政治原点は『住民至上主義』である。抽象的なレベルでなく、「オール100%情報公開する」具体的な行為のなかに、『住民至上主義』の思想を貫いているのだ。同氏はまさに常識家だ。だが、この主義に反する手段・組織とは徹底的に戦う。市民たちも、自分の権利を守り発展させてくれる竹原氏を熱く応援するのだ。市民の大半は、昔のような中途半端な手打ち式には悪寒を感じるのだ。それは生活が追い込まれてきている状況から、意識の先鋭化があると読んでいる。
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