200年住宅・HABITAで新しい日本の住文化創出に挑む
デフレ対策と副業のすすめ
―「HABITA」を手掛けようと思われたきっかけは。
三澤 1976年にアメリカの住宅を見たことです。歴史が浅い国にも関わらず、200年持つ住宅があるということで現地視察に行きました。
日本では、すでに100年住宅を業界全体で取り組んでいました。ただ、世間に受け入れられず、実現できませんでした。あれから33年間という長い月日を経て、今に至るわけです。
ずいぶんといろいろな国を見て回りました。延べ160カ所くらいは行ったと思います。
―歴史を紐解くと、日本でも長持ちする住宅はありました。
三澤 やはり、戦後の環境の変化が日本住宅のあり方を大きく変えたと思います。
当時は木材が不足していたにも関わらず、急いで家を造らなければならないということで、外材を入れて家を造っていました。しかし、それが日本の気候に適していなかったのでしょう。
それから、日本人が戦争で自信を失ってしまい、住宅は鉄筋あるいはコンクリートのものが良いと勘違いしてしまったのでしょう。木造は燃えるからダメだという話になった。結局、日本の伝統文化を自信喪失とともに捨ててしまったのです。
しかし、改めて振り返ってみると、昔の日本住宅が良かったということに、今さらながら気がついたのだと思います。
―住宅の価格は年々下がっていますが、どのように対応していますか。
三澤 やはりデフレというのは認めないといけませんから、建築費を下げなければなりません。「HABITA」では、限定商品ですが、坪単価を20%下げて、従来の坪50万円から40万円にしてデフレ対策をしました。
また、副業も勧めています。日本では、定年まで勤める流れがまだ続いてはいますが、そういう気楽な考え方で良いのでしょうか。これから先、大企業がなくなることは十分に考えられますから、アメリカ的に職業を2つ持つことが必要でしょう。極端にいえば、会社に勤めながら資格を取り、土日はそれを生かして別の会社に勤めるということです。
ただ、そういうかたちはすぐには難しいでしょうから、当社は「収入型住宅」を提案します。1階を貸店舗もしくは貸事務所に、2階、3階を住宅にして、その収入を住宅の返済に充てる。建て替えでは、そういうケースも増えると思います。
同じ敷地に2軒の家を建て、1軒を別の人に貸して2軒分を1軒分のローンで返済していくという方法もあります。良い場所ならば、そうしたことも可能です。
【大根田康介】
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら