1961年に竣工した「金華山丸」(9,800重量トン、ディーゼル貨物船)で、船橋から主機を直接操縦するブリッジコントロール方式と、機関部の監視・制御をコントロールルームで集中的に行なう集中監視制御方式の2つを採用した、世界に先駆けた画期的な技術でした。その後の造船界に多大な影響を与えています。
裏話として、当時、日本ではほとんど注目されていなかった「金華山丸」ですが、処女航海でパナマ運河を通過した際、船橋から直接主機を操縦する様子を見て驚いた現地の水先案内人がニューヨークに連絡を入れ、米国政府上層部の知るところに。ニューヨークに到着した同船を、当時の米国防長官が急きょ見学に訪れたほどだった、というエピソードが残っています。
そうした画期的な製品を数多く送り出している三井造船(株)は、1937年7月31日に三井物産造船部から(株)玉造船所として独立・設立されました。戦時中の42年に現在の商号に変更しています。造船分野にとどまらず、ディーゼルエンジンの製造や化学プラントや社会インフラ建設など多岐の事業を営んでおり、その技術力は世界的にも高く評価されています。
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