『革命の4原則』は、
若いこと、無名であること、貧しいこと、無知であること。
―コンセプトで言うと、『GOETHE』は『「24時間仕事バカ!」は人生を謳歌する』みたいなところで、かなり明快に出ているのではないですか?
見城 だけどもっと『GOETHE』色に染め上げた内容でないとダメだね。もっと狂わなきゃ。「極端」をやらなきゃダメなんだけど、それは何かというと「極端なこと」には「オリジナリティ」があるのね。他は誰もやってないから極端になるわけ。「極端である」ということは「明快」なんですよ。この「極端」と「オリジナリティ」と「明快」ってのはセットなんです。
―それに「癒着」が加わればヒットする、と。
見城 うん。「癒着」というのは、何でもいいですよ、例えば紀伊国屋チェーンや文教堂チェーンと癒着する、すごいモデルをたくさん抱えている芸能プロダクションと癒着する、どこかのテレビの番組と癒着する、とかね。そういうことがあれば、もっとうまくいくわけだよ。
僕が言う「ヒットの4条件」は、それでもまだ『GOETHE』には強く出てないと思うし、『GINGER』もこれからその4条件をもっと強く出していかなきゃいけないんだ。 ただ、今の時代に新しい雑誌を創るっていうのは、現状打破という意味では革命みたいなものでね。毛沢東が言った『革命の3原則』っていうのは「若いこと、無名であること、貧しいこと」だけど、僕も幻冬舎ももう無名じゃなくなったし、貧しくも若くもなくなった。でも僕はこれにひとつ付け加えた。それは「無知であること」。『革命の4原則』と呼んでるんだけどね。
意図的に無知であることはできるわけだよ。幻冬舎を創る時だってそうだった。僕は編集者としては実績もあっただろうし、名前も通ってはいたけれども、流通とか営業とかのことは全く知りませんでしたよ。印刷や広告のこともね。こんなにも既得権が幅を利かせている世界だとも思ってなかった。無知だからこそできたんです。やっぱり無知っていうのは、新しいことをやり切るためのひとつの大きな要素なんです。
―それは「無謀」のための土台ですね。
見城 そうだ、土台だよね。だから『GOETHE』も男性誌やグラビア誌を作った経験がない連中がやった。そもそも、僕も知らないんだから。それはやっぱり、無知だからできたんですよ。敢えて無知になろうとして、やったんです。『GINGER』もそうですよ。編集長は数々の女性誌の編集長を経験しているけれど、あとは無知な連中だった。第一ね、これだけの広告不況のなかで、無知じゃなかったら女性誌なんてできないですよ。でも幻冬舎は、常にその「無謀」なこと、「無理だ、不可能だ、信じられない」と言われることをやってきた。そっちを選んでいけば、上手くいったときに鮮やかでしょう? 16年前、最初の6冊を売るためにいきなり朝日新聞に全面広告を出した。もう、無謀ですよ。これで売れなかったら、会社は倒産だし僕は自己破産。でもうまくいった。それから、3年目に文庫を出した。文庫っていうのは、60年、70年、100年と歴史のある、ストックがある出版社がやることだ。それを3年で出した。
―しかも一気に62冊、ですよね。
見城 そう。これも無謀だったんです。でも鮮やかに上手くいった。だけど、上手くいったと言うけど、そこには圧倒的な努力が必要なんだよ。圧倒的努力というのは何かと言うと、人が寝ているときに寝ないということですよ。人が面倒だと思うこと、どこから手をつけていいかわからないことをやり切ることなんだ。単純なことですよ。 若い頃の話だけど、これから一緒に仕事をしたいと思う作家を落とそうとするときに、その人の作品が120冊あるならば僕は120冊全部読む。そしてそれに対してひとつひとつ目の前で感想を言うんだ。1冊目からずっと感想を言っていくと、だいたい15冊目ぐらいで「わかった、もういい、君とは仕事しよう」ってことになる。それが圧倒的努力ってことだよ。
【取材・文・構成:烏丸 哲人】
見城 徹 (けんじょう・とおる) 氏
1950年12月29日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、75年に株式会社角川書店入社。『野性時代』副編集長を経て、85年に『月刊カドカワ』編集長。直木賞作品5本を含め、数多くのベストセラー作品を送り出す。93年、同社取締役編集部長を最後に退社。同年11月13日、株式会社幻冬舎を設立。『弟』(石原慎太郎)、『大河の一滴』(五木寛之)、『ダディ』(郷ひろみ)などのミリオンセラー作品を自ら担当編集者として手がけ、経営者でありながら、今なお編集・宣伝・営業の第一線に立つ。とくにその斬新な広告やプロモーションは、業界の常識を変えたと評される。一方、映画やテレビドラマの企画・プロデューサーとしても活躍、その動向は各界の注目を浴びている。
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