最期に、幽かに微笑して死ぬために、
自分の人生を褒めてやりたいがために。
見城 世界中を旅して回りたい、それが自分が死ぬ前に一番満足できることだと思えば、仕事もかなぐり捨てて何とか工夫して、世界旅行に出ればいいんです。愛する女と、とにかく四六時中一緒にいたいと思ったらそれをやればいい。田舎で、家族を愛しながら晴耕雨読の生活をしたい、と思ったらそれをやれるように努力すればいいんですよ。人生の価値は人それぞれだから。死だけは誰にでも平等に来る。金がある人にもない人にも、無名な人にも名前がある人にも、地位や権力がある人にもない人にもね。だから、その人が選んだ「道」を貫けばいい。どれがいい、悪いはない。自分が満足するかどうか、なんだ。僕は今、70歳と仮に決めた寿命のなかで、最後に幽かに微笑んで、満足して死んでいきたいがために「今日何をやるべきか」ということで闘っているんです。
―それが、見城社長にとっては仕事であり出版の世界だったと。
見城 別に、出版じゃなくてもいいんです。もっと熱狂して満足できる仕事があるんだったら、アパレルでも、清掃会社でも、レストランチェーンでも、何でもいい。今は出版が一番自分を燃焼させることができると思うから、出版を選んでいるだけの話。
僕は例えば3年後には没落しているかもしれないし、どうなっているかわからないですよ。だけど、とりあえず歯を食いしばって圧倒的努力をしてきた結果が、今ここまでの16年間としてあるから。17年間角川書店にいて、1年目から17年目までずっと稼ぎ頭だった。当時の、角川書店の毎年のベストセラーのうち、上位10作の7~8作は僕がやってる。
幻冬舎を創ってからの16年も圧倒的努力をしてきたし、これからも圧倒的努力をする。そりゃ疲れるよ。ベッドに倒れこんで息もできず、涙が出てくるときもあります。そうじゃない価値観を持てたらその方が楽だったんだろうけど、そうやることでしか僕が生きている存在証明がないと思っているので。楽なことをしても面白くないから、難しいところに行く。
時代の全面的な不況というのは、僕にとってはものすごくファイトが湧くことなんです。それはもちろん、『パピルス』も『GINGER』も、『GOETHE』の今期にしたって、今後のための損は出ます。だけど、今後どうするかという僕の見取り図のなかでは間違った方向ではないと思っているので、圧倒的努力をして続けるしかない。
それはたったひとつ、最期に、幽かに微笑して死ぬために、そのときにいい人生だったと自分の人生を褒めてやりたいがために、日々熱狂し、そして圧倒的な努力を続けているんです。
【取材・文・構成:烏丸 哲人】
見城 徹 (けんじょう・とおる) 氏
1950年12月29日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、75年に株式会社角川書店入社。『野性時代』副編集長を経て、85年に『月刊カドカワ』編集長。直木賞作品5本を含め、数多くのベストセラー作品を送り出す。93年、同社取締役編集部長を最後に退社。同年11月13日、株式会社幻冬舎を設立。『弟』(石原慎太郎)、『大河の一滴』(五木寛之)、『ダディ』(郷ひろみ)などのミリオンセラー作品を自ら担当編集者として手がけ、経営者でありながら、今なお編集・宣伝・営業の第一線に立つ。とくにその斬新な広告やプロモーションは、業界の常識を変えたと評される。一方、映画やテレビドラマの企画・プロデューサーとしても活躍、その動向は各界の注目を浴びている。
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