破産への道程
同社が破産へと至った経緯について見てみよう。
事業が軌道に乗っていた時期は、マンション販売戸数は月平均12戸で推移していた。しかし、09年4月期では、08年5月頃から月平均販売戸数が7戸前後まで低迷。不動産バブルの崩壊に加えて営業社員の退職が相次いだため、販売力が低下した。
その後、営業責任者の交代や家賃保証期間の延長などで販売条件を見直したが、好転の兆しは見えなかった。また、同年11月には片腕であった専務が退任し、営業力低下に拍車をかけたようだ。
同社の営業手法は、もっぱら電話による販売だった。立地や価格で、ある程度の見通しが立つファミリー型とは違い、投資型ワンルームはひとえに営業マン個々の販売力にかかっている。そのため、営業力低下は即売上高減につながる。
09年に入ると、販売戸数は月平均5戸にまで減少。その結果、09年4月期の売上高は11億7,171万円と前期比で半減以下となり、営業損失2億4,170万円、経常損失2億2,546万円、当期損失2億3,808万円で債務超過に転落。非常貸借対照表によれば、破産時の負債超過額は6億3,456万円となっていた。
同年4月25日、オーナーへの送金の一部が数日遅れ、5月25日の送金も同様に遅れた。賃借人から回収した賃料の一部を同社の経費に充てたためだ。
6月には販売物件が中古1件に終わり、同12日の金融機関からの融資金で不足している経費を賄う事態にまで陥っていた。その後も中古1件が売れたが、いずれも薄利でオーナーに送金する賃料全額を捻出するには至らなかった。ついには販売数がゼロとなり、同22日に決済金の月内入金がないことが確定した。
この時点で、営業社員5名のうち、戦力となる人員はわずか1名しか残っておらず、1名は病気で欠勤、ほかの3名は入社1年未満だった。
また、家賃送金の遅延によって、提携していた住宅ローン会社が、今後の新規販売にあたって提携を取りやめるという事態に陥る可能性が高くなった。こうしたことが重なり、ついに事業継続を断念した。
【大根田康介】
【2009年8月24日号「IB」掲載。決算書は省略】
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