<地下足袋からブリヂストンへ>
石橋家は、もともと福岡県久留米市の足袋仕立て業。兄の二代目・石橋徳次郎とともに家業を継いだ石橋正二郎は、足袋にゴム底を接着した地下足袋を考案、炭鉱夫に爆発的に売れた。それをきっかけとして、農作業、土木作業にこれ以上便利なものはないと大当たり。ゴム靴を製造するまでになり、アサヒマークのブランドは、中国、満州にまで広がった。
そのため、材料のゴムが仕入れ分では間に合わなくなり、自家生産に乗り出した。正二郎は自家生産のゴムでタイヤ製造への進出を決意。日本足袋(のち日本ゴム)に設置したタイヤ部で、タイヤの試作に成功する。1931年、石橋兄弟の出資でブリッヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)を設立、正二郎が初代社長に就任した。社名は「石橋」の和製英語である。
巨大企業となった石橋グループは、財閥解体を免れるために、兄の徳次郎がゴム靴の日本ゴム(現アサヒコーポレーション)、弟の正二郎がタイヤと経営を分離した。
正二郎は地元・久留米の教育にも寄与した。九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)の土地建物を寄贈。久留米大学附設高校・中学の敷地も寄贈し、中高6カ年一貫教育で九州有数の進学校になった。
正二郎から事業を継いだ長男・幹一郎(1920~97年)は、資本と経営の分離を標榜、会長に退く際に、一族以外の社長を抜擢しブリヂストンは同族経営から脱皮した。幹一郎が亡くなったとき、子供たちが相続した相続税額1,035億円は、当時の最高額だった。
<偏差値秀才と富の結合>
鳩山威一郎と石橋安子の結婚で、さらなるサラブレッドが誕生する。鳩山由紀夫(1947~)・邦夫(1948~)兄弟である。兄の由紀夫は東大工学部を卒業後、米スタンフォード大学に留学。専修大学助教授を経て、政界に転じた。一方、弟の邦夫は東大法学部を首席で卒業すると、時の首相・田中角栄の秘書となり政治の世界に入った。直系四代で政治家を受け継ぎ、全員が東大卒というのは、この鳩山家しかない。
鳩山兄弟のマザコンぶりはよくいわれるところで、兄弟の母親・安子は鳩山家のゴッド・マザーと呼ばれる。偏差値秀才一家の鳩山家の、政界での活躍をサポートしてきたのは、石橋家の財力。二人目の首相を輩出した鳩山家の富の源泉は、大富豪・石橋正二郎から贈与されたブリヂストン株と、麻布永坂の正二郎の大邸宅跡だ。
鳩山家と石橋家は、さらに血の絆を強めている。鳩山邦夫と石橋幹一郎の長男・寛(ブリヂストン監査役)は従兄弟にあたるが、邦夫の妻エミリーと寛の妻・理沙は姉妹という濃密な関係にある。(敬称略)
(了)
【日下 淳】
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