COMPANY INFORMATION
代 表:徳田 泰助
所在地:福岡県糟屋郡志免町別府東3-2-7
設 立:1955年7月
業 種:鋼構造物工事
資本金:1,400万円
年 商:(08/9)約3億1,000万円
老舗の鉄骨工事会社
「持ちこたえられるはずがない」、「そもそも出口なんてなかったのでは」。(株)徳田鉄工所の破産申請の報を聞き、周辺関係者は、さも当然と言わんばかりの諦めの声をあげた。再生終結から2年を待たずして訪れた破綻劇であった。
同社の創業は、戦前の1920年5月にまで遡る。先代の徳田正次郎氏により個人創業され、55年7月に博多区比恵町で法人化された鋼構造物工事会社である。71年には現在地の別府工業団地に移り、鉄骨工事を生業として業績を拡大していった。取引先は清水建設(株)や(株)大林組といったスーパーゼネコンから、(株)錢高組、安藤建設(株)などの中堅ゼネコンまで幅広く有し、受注に事欠かない状態が長く続いたという。
先代の甥に当たる現代表の徳田泰助氏が社長職に就いたのは、同社が順調に業績を伸ばしていた82年6月のこと。先代の死去に伴う交代であった。当時53歳の徳田氏は、温厚だが大胆な人間性であったと言われる。高い技術力とHグレードの技術認定とを武器に、バブル景気にも支えられて、ピークとなる91年9月期には売上高約32億円、純利益2億8,000万円を確保するほどであった。
しかし、良い時期は長くは続かなかった。バブル崩壊により、売上高が急減したのである。ピーク時から3年後の94年9月期の売上高は、実に3分の1に相当する約12億円にまで下落した。これでは経費を賄いきれない。翌95年9月期の売上高は15億347万円、純損失7,895万円。96年9月期には売上高14億1,530万円、純損失4,311万円と毎期赤字を計上し、次第に企業体力をすり減らしていった。
【田口 芳州】
【本稿は6月25日号「IB」に掲載】
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