証券再編が頓挫した。三井住友フィナンシャルグループ(HD)と大和証券グループ本社は、法人向け証券会社である大和証券SMBCの合弁を解消することが明らかになった。三井住友による日興証券グループの買収を機に溝が深まり、1999年以来の提携に終止符を打つ。
<塗り替わる業界地図>
2008年9月15日。米投資銀行、リーマン・ブラザーズが過去最大の負債総額6,130億ドル(約64兆円)で経営破綻した日は、“リーマン・ショック”として歴史に刻まれることになる。
リーマン・ショックから1年。日本の証券界の勢力図は、ガラリと塗り替わった。「世界の混乱は、邦銀のチャンス」とばかりに、国内勢が海外の大手金融機関のM&A(合併・買収)に動いたからだ。
野村ホールディングス(HD)はリーマンの欧州・アジア部門を買収した。三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)は昨年10月、米証券大手モルガン・スタンレーに90億ドル(約9,200億円)を出資。これを契機に、傘下の三菱UFJ証券とモルガン・スタンレーの日本法人であるモルガン・スタンレー証券と統合することで、合意にこぎつけた。2010年3月に国内3位の新会社が誕生する。
資産売却を急ぐ米シティグループは、傘下の日興シティホールディングス(HD)を解体。部門ごとを切り売りに出し、日興争奪戦が火を吹いた。
<日興の迷走>
日興シティHDの前身は日興証券。野村証券、大和証券、山一証券と肩を並べる4大証券の一角で、三菱グループだった。97年に山一証券が破綻してから、日興の迷走が始まる。
日興は東京三菱銀行の支援を期待していたが、慎重居士の東京三菱は結論を出すのが遅すぎた。当時の日興の金子昌資社長は、東京三菱の煮えきれない態度にしびれを切らし、生き残りを賭けて米トラベラーズ・グループ(現シティグループ)と提携した。
日興は、06年末に発覚した不正会計で経営に行き詰まり、07年にシティの子会社になった。そのシティも金融危機で経営が悪化し、日興シティHD傘下の主要3社が売却された。
銀行・信託・証券業界を巻き込んだ日興争奪戦を経て、今年5月に三井住友FGが個人向けの日興コーディアル証券と法人向けの日興シティグループ証券の大半を、7月には住友信託銀行が資産運用の日興アセットマネジメントを買収。日興シティHDの解体は終了した。
みずほフィナンシャルグループ(FG)は、当初予定から1年半近く遅れたが、傘下の旧新光証券と旧みずほ証券の合併を今年5月に完了。新「みずほ証券」が誕生した。
リーマン・ショック後の証券再編の結果、業界地図は塗り替わった。それまでは、独立系の野村HDと大和証券グループ本社、外資系の日興シティHDの3強時代だったが、メガバンクが勢力を伸ばした。三菱UFJ証券+モルガン・スタンレー証券が3位に浮上、新みずほ証券が誕生、三井住友は外資系だった日興グループを手に入れた。
証券地図は、野村、大和、三菱UFJの3強を、日興、みずほが追う展開に塗り替わった。その結果、微妙な立場に置かれたのが大和証券である。
【日下 淳】
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