テレビやラジオ、新聞、雑誌では30日を切った選挙に向けて、民主の風が吹いていることを声高に知らせていた。8月18日の選挙の公示まであと2週間あまり。支援者たちは民主の圧勝を肌で感じていた。
「今回こそは大丈夫でしょう」
「麻生首相はいい時期に解散してくれた。これだけ追い風が吹いていたら間違いない」
「あとは油断しなければ大丈夫」
いずれも楠田氏の支援者の声である。民主の圧倒的勝利を確信している言葉のみが耳に入ってくる。
ところが、楠田陣営のなかに、楽観視しているものは一人もいなかった。楠田氏は、これまで2期衆院議員を務めたとはいえ、いずれも小選挙区で敗退している。初めての挑戦のときは比例区で復活。2期目は一度落選したのち、浪人期間を経て、北九州市長選出馬で衆議院議員を辞した北橋健治氏の穴を埋めるための繰り上げ当選により衆議の地位を得た。小選挙区では辛酸を舐め続けているのだ。その記憶が選対本部にピリピリとした空気を運んでいるのである。
加えて、相変わらずの人材不足。学生のボランティアらが徐々に足を運んでくれるようにはなってきたものの、何をやるにも人手が足りない。地域のあいさつ回りをするにしても、資料の折り込みをするにしても、イベントを企画・動員するにしても、とにかく人手が足りないのだ。
さらに敵方である現職・原田陣営の積極的な動きが追い討ちをかける。どこからともなく選対本部に伝えられる、原田陣営のシステマチックな活動。豊富な資金力とマンパワーが、チラチラと見え隠れする。
外の期待との激しいギャップと、敵方のステップワークの軽さ。楠田陣営にあったのは焦燥感のみであった。この焦りが秘書、スタッフの声を荒げさせ、いったんは整いつつあった指揮命令系統に亀裂を生じさせることとなる。大きな声で喧嘩まがいの「話し合い」が頻発するようになる。
何をすべきときなのか、誰がすべきことなのか。目的はみな同じながら、意思の統一がなされない。そんな幹部たちを横目に、ボランティアスタッフはただ困惑するばかり。時間だけが過ぎてゆき、告示まで残すところ1週間となっていた。
【柳 茂嘉】
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