(19)国内旅行記その3
それから東のザンデールまで旅は順調に続いた。さて、ザンデールについて少しお話しておこう。ザンデールは、首都ニアメから1,300kmほど離れた場所にある大きな町である。古い時代からサハラ砂漠越え交易路の要衝にあり、16~19世紀にはイスラム王国の首都であり、1922年から4年間、フランス領ニジェールの首都だったそうである。ちょうど日本でいえば、京都・奈良のような町である。とくに精巧に作られるザンデール製の銀細工は、首都に比べ値段もかなり安く購入できるので、隊員間では大変評判である。
同じニジェール国内でも、町によって雰囲気は違う。途上国の首都はごみごみしており、しかもゴミだらけで汚いのだが、ニジェールもその例にもれず汚い。しかし、東に行けば行くほど道幅も広くなり、ゴミも少なくなる。ザンデールは首都に比べきれいだった。
ちなみにニジェールにゴミ箱はない。たまにゴミ箱が道に設置されているところもあるが、極めて珍しい。ニジェール人にゴミをどこへ捨てるのかと聞くと、笑顔で「その辺」と言いながら捨てる。かといって、日本のようにゴミを回収し、焼却する場所もなければ埋立地もない。ゴミ回収車もないのでゴミは増えるばかり。深刻である。
話がそれてしまったが、ザンデールはハウサ族の町である。ニジェールの代表的な民族は西のニジェール川沿いで農耕を行なうザルマ族と、サハラ砂漠を交易の手段としていた商業民族ハウサ族である。
どちらが、環境の厳しい場所で生活しているかというと、ハウサ族である。ニジェール川の水を自由に使えるザルマ族と比べ、ハウサ族はオアシスの水を使うのだが、大量にあるわけではない。そこで、かんがいを行なうなど効果的な水の利用を求められる。厳しい環境で何百年も生活していると、自然に知恵が生まれるようである。ザルマ族に比べハウサ族の方が賢いのでは?と思うことがよくあった。たとえば、ザルマ族とハウサ族で同じ手法を持ってプロジェクトを行なうと、ハウサ族はうまくいくのにザルマ族はうまくいかない、といった具合である。
ザンデールには3泊ほどさせていただいたが、移動の疲れからか、あまり外に出ることはなく、日本から送られてきた録画されたテレビドラマを見たり、近くを散歩して空手の稽古に行く少年たちとたわむれたりとのんびり過ごした。旧首都だけあって一般の地方都市と比べ物資も多く、レストランもあり十分に満足できた。また、商人の町なので、金持ち日本人の家に来る行商からトーゴ製の鮮やかな布を買ってみたり、前述の銀細工を購入にアルチザナと呼ばれる民芸品屋さんに出かけたりと、旅の最後を楽しんだ。
観光名所を巡ったのち、ザンデールから13時間をかけ、無事私が住む首都へ帰宅することができた。お土産はサハラ砂漠で取れた「砂漠のバラ」である。これは化合物が結晶化した石なのだそうなのだが、なぜこのようなバラ状になるのかはわからないそうである。
【廣瀬】
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