<普通なら飛んでいる>
9月30日に『天神プレイス』売却の契約がなされた。購入先はやずやで、売却したのは(株)アーム・レポである。(株)アーム・レポ(本社・福岡市中央区今泉1-2-30、代表取締役社長・田中浩和氏)は、福岡の中堅デベとして22年の業歴を有する企業である。
08年3月竣工した『天神プレイス』は、売却できないまま1年6カ月が経過した。昨年末から「もうアーム・レポは再起不能だろう」と囁かれだした。最近では、関係外の方々には「アーム・レポは死んでしまった」という認識すら広がっていた。確かに同社は、普通ならば昇天していた(倒産していた)。だから、『天神プレイス売却』のニュースをキャッチした不動産業界・金融業界の関連者たちは「アーム・レポが地獄から生還するのは奇跡だ」とびっくり仰天の声をあげた。
確か昨年末のことだ。田中社長と筆者の間で話を持ったことがある。「田中社長!!御社の実績からみれば、10億円の赤字を抱いても、苦しいけれど再起は充分にできる」と具申したことがある。田中社長は「そのくらいの赤字損切りであれば、どうにかやれるだろう」と相槌を打ったが、精彩はなかった。だが、「関係者には絶対に迷惑をかけられない」と繰り返し明言していた。この、普通であればとっくの昔に飛んでいるはずのアーム・レポが、どうして地獄から生還できたのかを分析してレポートする。
<『天神プレイス』を世に送り出すことで躍進するはずだった>
『天神プレイス』の敷地は元々、潰れたフクニチ新聞社の跡地であった。この用地を東峰住宅産業(当時本社・福岡市博多区)が高買いした。この会社は一時、デベ業界を牽引する存在であったが、高買いの「ツケ」が回ってきて倒産に追い込まれた。まさしくこの敷地は呪われた土地と呼ばれるようになった。ただ、『天神プレイス』の用地は、中心部に位置していろいろな開発計画を練れる要所である。用地の魅力を理解したかどうか定かでないが、UR都市機構が買収した。そして同社は、50年定期借地権付で企画公募をはかった。
田中社長は地元生まれで故郷を愛している。だから、福岡都市計画には思い入れが強い。「この今泉を中心部のオアシスとして誕生させたい。60億円の事業になるが、定期借地権であれば自社の資金力でも可能だ」という判断で、公募に手を挙げた。そしてアーム・レポの企画が採用された。田中社長は自信に溢れた語り口で「我が社は、今後も未来の福岡の都市創りに貢献していきたい」と語ってくれた。確かに構想5年、着工から3年間の歳月を費やしたビック・プロジェクト『天神プレイス』の誕生は、無味乾燥ゾーンに潤いを与えることとなった。同氏の夢を実現できるようになったのだ。
だが、現実の「経済戦争」の結果は過酷だ。前記した通り、当初は自社で所有する計画であった。ところが、時は不動産ファンドへの売却が主流となった。田中社長も方向転嫁して「イグジット(出口)をセキュアード・キャピタル・ジャパン」に決めた。結局、「価格が折り合わず」という理由で、相手は引き取りを拒否した。最終通告は08年11月である。実際のところ、相手が資金調達できなかったというだけの、単純な理由だ。この会社には、福岡の他の企業も翻弄されている。フザケた会社だ。
田中社長はすべての策を打ち尽くした。同氏は放心状態のなかで08年末を迎えるのである。
(つづく)
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