<1億円未回収が発生のピンチ>
普通の経営者なら、ここで音をあげていた。「不動産ファンドに断られた。事業続行が不可能になったから、民事再生法を申請する」と理屈を並べて倒産させるのが、一般的なパターンである。男、度胸一本・田中浩和氏は安易な道を選択しなかった。堂々と地獄と向き合う試練に、歯を食いしばった。「逃げ隠れしてどうなるか」という、人間の尊厳に関わる一番大切なものを貫いた。「アーム・レポはもう死んだ」という誹謗・雑言を背に受けながら、必死で新たな購入先を探し求めたのである。
田中氏の雑草のような逞しい生命力は、どこから宿ったのか。『アーム・レポ』を1987年11月に設立した時点では、田中氏は27歳の若さであった。販売代理の草分けとして業容の拡大をはかってきた。07年の設立20周年においては、4,598戸の販売供給を行なうという実績を残している。20年の過程のなかで、幾多の試練が待ち構えていた。最大の難関は、販売代理の仕事で1億円の未回収が発生したことである。ここで粘り強く交渉した。常識外れの相手は、難癖をつけて払おうとしない。資金窮迫に陥ったのも事実だ。
ここでも狼狽せずにじっくりとピンチを潜り抜けた。関係者に状況を説明しつつ、事態の好転に努めた。「生まれ育って福岡で、『田中は会社を興したが、潰してしまった。馬鹿な奴』と言われないことをバネに頑張ってきた。22年の経験から、まず何よりも逃げ隠れしなければ道は拓ける。支援者が現れる」と体験的哲学を披露する。田中氏の、逞しい生命力の源泉は「ビジネスする者の信義を貫くこと」に帰結するようだ。
<苦の中から福が転がる>
「逃げ隠れしない」ことで、禍中からどういうふうに福が転がり、地獄から生還できたのか? まず第1の幸運は、買い手に立候補したやずやと遭遇したことである。昨年末あたりから食指を動かしていた。この買主意向者が諦めずに待っていてくれたことだ。やずやのオーナーが『天神プレイス』に強い思慕感を抱いた。この原因は場所の魅力ばかりではない。商談で接する度に、田中氏の人柄に対する評価が高まっていたのではないか。「田中氏のような経営者を救うことになれば、『天神プレイス』の事業の先行きにも福が転がってくる」と判断したとみられる。田中氏は、自然と他人を説得させる術を持ち合わせている。
第2の幸運は、施工業者が大成建設であったことだ。買い手がやずやとなれば、あとはいくらで売るかを大成建設と交渉するのみである。地元または中堅ゼネコンであれば、赤字の負担分は被れずに両方(アーム・レポ、ゼネコン)共倒れになるという最悪コースになっていただろう。今回の交渉結果で大成建設の評価が高まった。「さすがタイセイさんバイ!! よくまー、赤字分を引き受けてくれた」と関係者が感服する。大成建設の支援姿勢こそが、金融機関の足並みを整えさせた。「地獄から生還」の功績の一つは、大成建設が終始一貫、ぶれずに応援してくれたことだ。
第3点の幸運は、社員の結束力である。不動産業界では、会社の業績が悪くなると社員がいっせいに退社して悪口を言いふらし、風評を加速化させるという風土が顕著な業界だ。世間では「アーム・レポはもう死んだ」と言われるなかで、社員たちは一致結束して業務に専念していた。よく営業社員からも、セールスアタックのTELがかかってきたものだ。社員たちが浮足立つこともなく一心不乱に働いてくれたのは、田中社長の経営姿勢に共感を抱き、信頼をしてきたからであろう。
3点の幸運が重なって、奇跡的な「地獄からの生還」を果たしたのは、ひとえに田中社長の『逃げ隠れしない姿勢』である。『天神プレイス』のくびきから脱したとはいえど、前途にはまだまだ試練が待ち構えている。
(つづく)
【天神プレイス概要】
17階建賃貸マンション2棟(158戸)、10階建ホテル棟(96室)
低層階オフイス、商業テナント 延べ床面積約2万5,000平方メートル
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