先月27日、福岡県前原市で任期満了に伴う市長選挙の投開票が行なわれ、前職の松本嶺男氏が1万1,915票を獲得して2期目の当選を果たした。新人の環境コンサルタント・佐藤俊郎氏(無所属、民主・社民推薦)は9,682票獲得したものの惜しくも次点という結果となった。事実上、自公推薦の現職と民主・社民が推す新人候補の争いとなったが、前原市民は変化より「継続」を選んだ。年明け早々にも誕生する糸島市の初代市長の座を目指し、すでに第二幕が始まっている。次回選挙への意気込みを佐藤氏に伺った。
―まずは選挙戦おつかれさまでした。
佐藤 今回はとても勉強になりました。実際に選挙に立ってみて、カルチャーショックを受けましたね。しかし、さまざまな方々のご協力・ご支援があって、次点ではありましたが、無事選挙戦を終えることができました。次は前原市、二丈町、志摩町が合併し、来年1月1日に誕生する糸島市の市長選に向けて頑張っていきたいと思います。
―前原・糸島に対する思いをお聞かせ下さい。
佐藤 子どものころ、熊本と鹿児島の田舎で育った私にとって、この地は憧れでした。川で泳ぎ、泥だらけになって遊んだ畑や田んぼ。運動会は地域あげての大イベントでした。学生時代に環境の道に進むことを決め、自然に囲まれて野菜などの生産をし、受け継いできた知恵を活かし、お互いが関わり合いながら生きる社会。私は学生時代にこのような循環型社会を描いてきました。前原・糸島はそれが実現できる可能性を秘めています。
―佐藤さんは以前、「これまでやってきた環境設計という仕事の集大成にしたい。チャンスは1回だと思っている」と意気込みを語っておられました。地方自治体における環境設計の必要性についてお聞かせ下さい。
佐藤 私が大学生のころ、恩師である九州芸工大(現・九大)の先生に『究極の環境設計とは、首長にならなければ』と言われました。学生時代から環境設計に興味を抱き、大学の卒業研究は柳川の水問題をテーマとして、1976年には農業とエネルギー循環型モデルコミュニテイの提案が選出され、バンクーバーの国連人間居住会議にも招待されました。大学卒業後は東京、海外などで働きましたが、故郷への思いが断ち切れず92年に福岡へ戻ってきました。以前から、海外から帰り、福岡市に住んでいても、遠方からの友人を連れて行くのはいつも決まって前原、二丈、志摩などの隣町でした。前原・糸島地区は神々しい山並みに豊かな平原、そして美しい海、厚い歴史、文化に恵まれています。この資産を保全し、かつ豊かな経済活動を行なうことが私の夢です。しかしながら、今までの延長線では前原・糸島の未来はありません。問題が山積しています。そのなかでも、環境や景観は避けて通ることができない問題なのです。
―景観の問題では、九電が雷山で送電線計画を進めていますね。
佐藤 確かに、九電が雷山で送電線を作る計画を進めています。(九電側は)地元で説明会を何度も開いていますが、説明に確たる理由などありません。雷山の景観は市民の共有の財産であり、行政側が積極的にこれを守るという姿勢を強く打ち出すべきだと思います。景観を守り、自然を活かす。これからの時代には必要だと思います。
そのなかで、10月1日にあった町の景観保全に関連する広島の鞆の浦(とものうら)埋め立て架橋計画の裁判は、広島地裁での一審判決で原告側が勝利しました。鞆の浦の事例は(雷山の問題と共通する部分が多く)、これからの景観を大事にする街づくりの良い例になると思いました。
【文・構成 矢野 寛之】
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