鳩山新政権が新設した、税金の無駄遣いを根絶するために行政全般を見直す目玉組織「行政刷新会議」(議長・鳩山由紀夫首相)の主要メンバーとして、京セラの稲盛和夫・名誉会長(77)が起用された。稲盛氏はまた、辞任を求められている日本郵政の西川善文社長の後任候補に、新政権から内々に頼まれているとされる。かつて仏門に入りして、浮世との縁を断った稲盛氏だが、いまや新政権から引っ張りだこ。財界とのパイプが細い民主党にとって、稲盛氏は切り札的存在なのである。
<薩摩隼人の反骨精神>
鹿児島出身の稲盛氏は、郷土の英雄・西郷隆盛を尊敬してやまない。明治新政権に異議を申し立てた、西郷ドンのような反骨の士だ。首都・東京に対抗して京都で経済活動し、巨大企業のNTTに挑戦してDDI(第二電電、現・KDDI)を誕生させるなど、稲盛氏の活動には「反骨精神」が根底にある。
政治についても、「官僚支配を打破するには政権交代しかない」と公言し、民主党支持を鮮明にした。8月の総選挙では、民主党圧勝を後押し。稲盛氏は選挙前、鳩山由紀夫、小沢一郎、菅直人、輿石東各氏の民主党首脳たちと会食。政権交代後について意見交換したとみられている。郷里の鹿児島では、政権交代の必要性を訴えて民主党候補を激励。県内の京セラの従業員はパートを含めて9,000人。彼らが民主党躍進の原動力になった。京都市を地盤とする前原誠司・国交相の有力な後援者でもある。
民主党が歴史的大勝を博した後、鳩山氏と官房長官に内定していた平野博文氏が、都内の京セラ東京八重洲事業所を訪れ、稲盛氏に新政権の協力を依頼している。
<小沢一郎の応援団長>
稲盛氏は、自他ともに認める小沢一郎・幹事長(67)の応援団長である。小沢氏が自民党の幹事長(89年8月~91年4月)の要職にあったときからの親密な間柄だ。
89年に米モトローラ社が、自動車・携帯電話への参入を求めた日米通信交渉の日本側代表が小沢氏。モトローラ社は、IDO(日本移動通信、現・KDDI)にライバルのNTT方式並みの基地建設を求めた。小沢氏は、通産・郵政官僚を通してIDOの株主であるトヨタ自動車、東京電力に圧力をかけ、モトローラの要求をのませた。モトローラ社の提携先が、IDOと稲盛氏が経営するDDI系の携帯電話会社・セルラー。それ以降、小沢氏と稲盛氏は親密な関係になった。
民主党が旧自由党と合併する前の02年、稲盛氏は民主党大会で「君たちはまじめだが、まだ若い」と直言し、小沢自由党との合流を勧めている。西松建設からの献金問題で窮地に陥った小沢氏に、民主党代表の辞任を勧めたのも稲盛氏とされる。小沢氏に面とむかって意見ができる大御所なのだ。
【日下 淳】
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