エピローグ1
山水建設の凋落は、もはや現実のものとして認識せねばならない。
坂本以下現経営陣は、認めたくないことだろう。不況による市場の収縮によるものとしたいだろう。
しかし、この不況の真っただ中でも、同じ業界内で業績を伸ばしたり、落ち込みを軽度にとどめたりしているメーカーもある。
坂本が社長に就任した頃より、山水建設社内の不協和音が聞こえはじめていた。以来、日々知らず知らずのうちに組織のタガが緩み始め、山水建設の総合力は落ちてしまっていた。
坂本は、「自分がいないと、この会社は立ち行かない」という独りよがりの自負心が旺盛だった。5年前にライバルの日本建設に業界トップの座を譲ることになったとき、いち早く気がついて己の非を認め、辞任もしくは自分自身の変革をすべきだった。
前中井会長はこれを機に辞任している。
だが坂本は反省の色もなく、社長の地位にとどまり続け、時代は予期せぬ金融バブルに突入してくのである。
世界の金融が、失われた10年でどん底に値下がりした日本の不動産に、大量の買いが入り始めていた。外資による不動産バブルが発生したのである。
山水建設が手掛ける開発事業がことごとく大当たりした。山水建設の業績は急回復していった。この頃、坂本は得意満面に「わが社は無借金経営になった」と豪語していた。
本来ならこのときこそ、本業の不調の兆しの原因を追求、改善せねばならなかった。しかし坂本には反省がないため、本業部門の立て直しを忘れていた。開発事業の好調、不動産部門の完全子会社化で、見かけ上は日本建設に引けを取らない業績を上げていたため、慢心してしまったのだ。
創業社長山田は、常に「本業に徹せよ」と言っていた。しかしここでも、その教訓は生かされなかった。
金融危機の発生で、開発事業はとん挫。所有している土地は不良資産化しつつある。本業に力を入れようにも、時代のニーズにあった商品もなく、購買層の若年化、低価格路線がもてはやされる風潮のなかで、いたずらに高級化路線を走っているに過ぎない。
ついに戸建分野でも、低価格が売りの新興企業-「集合住宅でも30年家賃保証」の謳い文句の大南建設にも負けてしまう事態になり、あらゆる事業分野で、トップだった時代は遠い過去になりつつある。業界での地位低下は山水建設の「ブランドイメージ」の低下をきたしているのである。
(これはフィクションであり、事実に基づいたものではありません)
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