≪下関ブランド推進協議会が生まれた背景を追う(3)≫
「推進協議会」の発足を検証する意味で、江島潔・前下関市長の経歴について触れてみたい。
<江島 潔(えじま・きよし)>
1957年4月2日生まれ。都立戸山高校、東京大学工学系大学院修了。父親は元参議院議員江島淳氏(元大蔵省政務次官)
・91年(34歳) | 下関市長選挙に無所属で立候補、亀田博氏に敗れて落選。 |
・93年(36歳) | 第40回衆議院選挙に、旧山口1区から日本新党公認で立候補も、安倍晋三氏、林義郎氏、河村建夫氏、古賀敬章氏に破れ落選。 |
・95年(38歳) | 下関市長選挙に無所属で再度立候補。亀田氏を破り初当選。反自民の「市民連合」と安倍晋三氏(自民)の支援を受けるが、後に安倍陣営へ。 |
・99年(42歳) | 下関市長選挙に立候補、亀田氏、古賀敬章氏を破り再選(2期目)。 |
・03年(46歳) | 下関市長選挙に立候補、磯部のぶ子氏を破り3選(3期目)。 |
・05年3月(48歳) | 新設合併(下関市・菊川町・豊浦町・豊北町)に伴う下関市長選挙に立候補。中尾友昭氏、松原守氏を破り当選(4期目)。次点の中尾氏に約2,500票差の辛勝。 |
・09年3月(52歳) | 下関市議会冒頭(2月29日)にて、下関市長選挙への不出馬を表明。3月26日に退任(4期・14年)。 下関市長選挙に再挑戦した中尾友昭氏が、友田有氏、香川昌則氏を破り初当選。 |
【特別取材班】
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