チェルノブイリ医療支援ネットワーク理事 寺嶋悠氏
現地の医療事情と支援の難しさ
――現地には何度も行かれているということですが、印象はいかがでしたか。
寺嶋 まだ学生だった96年にスタディツアーに参加し、初めてベラルーシに行きました。行く前には、被爆による悲惨な光景が広がる、モノクロの世界かと思っていましたが、実際に現地を訪れると、美しく豊かな国でした。畑があり、井戸があり、豚やアヒル、鶏がいて、キノコやベリー類の豊富な森が広がっていて、昔の日本のような自給自足の生活がありました。音楽も盛んで芸術文化も大変豊かな場所でした。
しかし、そこには目には見えない残留放射能があり、ここで長く生活しているだけでガンのリスクは高まります。目の前の美しい風景と、一見のどかな日常生活の中に潜む放射能や健康不安のギャップ。これがチェルノブイリの真実だと感じました。
――現地の方とお仕事をするうえで、日本のやり方と外国のやり方が違って困ったことはありますか?
寺嶋 日本とやり方が違って困ったことや、税関手続きなどで泣かされたことも度々あります。
日本と違って、同じ甲状腺の病気でも、良性腫瘍は内分泌科、悪性腫瘍(ガン)は外科の分野と明確に区別されていました。数年前までは、ガンが地方病院で発見されても、首都ミンスクまで高い交通費をかけて手術を受けに行かなければならず、地方病院と中央病院との情報の連携や、患者さんの交通費負担が課題となったこともありました。
現地は医療費は無料ですが、手術後の薬など一部は自分で購入しますし、カルテや通院記録は患者自身が保管しています。カルテについては、病院側で患者ごとにカルテを保管する日本のシステムに学び、現地病院でも採用されるようになりました。
薬や機材など医療支援物資を現地に届ける際には、1ヵ月前までに、英語とロシア語でリストを作成し現地保健省に人道支援物資として免税申請をしなければなりません。しかし、所定の手続きを取って、検診で使うために高価な医療器具を日本から運んだにも関わらず、理由不明のまま空港の税関で止められ、「手続きが完了するのは3ヵ月後」と言われてしまい、結局その医療器具を使って検診をすることができなかったこともあります。
日本のペースのようにスムーズには仕事は進みません。何年もかけてようやく一つの仕事ができる状況ですが、地道に成し遂げていくしかありません。
随分以前ですが、日本での医療研修のため現地医師を招聘したところ、私たちが要請した第一線で活躍する医師ではなく、現場を長く離れているような院長などが政治力で選ばれ、来日したこともありました。こちらが思うほど簡単には進みません。
現在医療支援の方向性は、自身が広島の被爆2世であり、ロシアの医師免許を持つ医療コーディネーターと、日本・現地の双方専門家と協議しながら進めています。過去の失敗やこの数年間の地道な連携により、今一緒にお仕事をさせていただいている現地の先生方や医療機関とは、互いに強い信頼関係を築くことができています。
――原発事故から23年経ちますが、記憶の風化は感じられますか?
寺嶋 原爆後60年が経っても多くの病気が報告されている広島や長崎と比べると、「まだ23年しか経っていない」というのが現実です。今後も長く影響が続いていくと思います。
(つづく)
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