11月15日は生コン記念日。生コン先駆者の歴史を振り返ってみたい。
住友大阪セメントの関係会社であるエスオーシーグループ・ウェブサイトによると生コンの歴史に触れることができる。
生コンのルーツは1923年9月1日に発生した関東大震災の直後に、復興局道路課によるミキシングプラントを設置して道路工事へダンプカーで運搬された記録がありそれが生コンのルーツと言われている。
本格的な産業としてのスタートは、49年11月15日に磐城セメント(株)(現住友大阪セメント)が全額出資で設立した、東京コンクリート工業㈱が東京都墨田区押上町7番地の東武鉄道業平橋駅構内に我が国初の生コン工場が完成。同工場からの初出荷は地下鉄銀座線の三越前駅出入り口の補修工事であったという。
当初は道路、補修及び土間工事が主たる用途であった。その後50年頃に建築・土木での受注が増加。当時ミキサー車は無くダンプカーでの生コン納入し現地で加水する方法を取っていた。プラントでの練り混ぜ時に単位水量を減じ、スランプ0程度の生コンとしてダンプで運搬し、現場に設置したドラムミキサで水を加えて再練りする方式も採られていた。最初に生コンが使用された建築物件は東京温泉新築工事である。竣工51年11月の八重洲通りにあるブリヂストンビルに使われた本体コンクリートは、50年以上前の加水再練りした生コンである。50年余の年月を経て今もなお現存するビルの存在。「昔の生コンの材料など何でもありで粗悪であった」という声が生コン関係者聞かられるが、この当時原材料も良質で施工・養生が丁寧であったからブリジストンビルのような立派な建築物が残っているのであろう。
当時高い志と誇りを持って生コンの仕事に従事した人々の情熱が感じられる。
▼関連リンク
エスオーシーグループ
【河原清明】
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