弱者重視の人々が慈しみあう世界へ
―これまで改革を進めてこられて、かすかな望みは見えますか。
竹原 全部がだめだといっているわけではないんです。あらゆるところに善を含んでいますから、それを使っていけばいいのです。今は善悪の混然状態で、それが拮抗していますから、抗争という方法ではなくて慈愛をもって接すればいいわけです。敵だと戦う理由ができてしまう。慈愛の気持ちを持っていろいろな方に接していくことが必要ですね。
視点を下げ、市民のなかで、生活保護以下の生活をしている多くの人たちを見つめてほしいと思います。これまでの社会は登るための競争で、まわりを押し下げてきました。相手を利用しながら人の山、屍の山をつくって登ってきた。山になった人たちは、自分より下の人たちを利用して上を持ち上げないと、今現在の位置にいることすらできないわけです。それが今の社会です。これを逆にしなければいけません。
一番上にいる人は、一番下に降りていかなければいけない。みんなが降りる競争をしていけばいいのです。努力して深く潜れば潜るほど、全部の力が全体を持ち上げる力になっていきます。弱い人たちを応援する社会になれば、結果、強い力を持っていなくとも弱い人たちが浮き上がる、そういう安心する社会になっていくのです。一番最下層にいるのは子どもたちやお年寄りの人たちです。彼らのための競争にすればいいのです。
市長をやってきて、新しい発見があり、真実に触れる面白さを実感しています。すべての人たちにとって、人生は経験でしかありません。できることだけをひとつひとつやっていけばいいわけです。自分すら思い通りに動かせないのだから、人も思い通りには動かないわけですね。私は、原点に戻ってシンプルに物事を考える発明家のような頭だと思うんですね。本当にわかっているのかな、と自分の確信を探しながら、今後も取り組んでいこうと思います。
(了)
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