「19歳の時から中洲にいるが、今が一番悪い。店を始めたころの3分の1」。
「テナントビルの2割ぐらいが空いている。入れ替わりも頻繁で、テナント料の滞納も目立つ」。
「飲み放題の料金交渉をする方が増え、料金の計算をしてから飲むようになった」。
「去年までは『景気が悪い』という話が出ていたけど、今年は出ない。当たり前になった」。
何を隠そう実はこれ、10年前に福岡で発行された某月刊誌のもの。同雑誌が中洲で実施したアンケートへの回答である。
「今年は、この時とは比較にならないくらい悪いんですよ」と同雑誌を見せてくれたのは、中洲でスナック「Healing Bar T.N.M」を営む志眞美ママ。世界同時不況の煽りを受けた2009年を振り返り、「前年の3割ぐらい売上が落ちています。薄利多売でなんとかやっていますが...」と、心痛な面持ちで話す。志眞美ママが中洲で店を始めたのは、16年前。「昔は、中洲でお店を持つことが夢でした。でも景気が良かったのは平成10年くらいまででしたね。その当時はもう、金曜になるとタクシーがつかまらないぐらいの賑わいで、夜の仕事をする人は中洲の近所に住む必要があったぐらいです」。今の中洲を見る限り、とても信じられない話である。
今年11月、志眞美ママの店は、テナントの老朽化に伴い、中洲大通り近くのテナントへ移転した。「中洲大通り沿いの物件は、まだ値下がりしていません。なるだけ人が多く集まるところへ店が集まってきているんです。それに貸す側も慎重になっています」。立地条件の良い今のテナントへ移転できたのは、16年間商売を続けてきたママのキャリアがあればこそ。中洲は、今年に入って数百軒の店が入れ替わったという。家主の貸し渋りも当然のことかもしれない。それでも多くの店が、メインストリートである中洲大通り付近へ集まり始めている。中洲全体のコンパクト化が進んでいるそうだ。事実、中心部から少し外れたテナントビルには空きが目立つ。
長く続く不況でポケットマネーが減ったことが中洲不況の背景にある。1次会は居酒屋、2次会をやったとしても居酒屋。今では、1次会で終わるケースがほとんど。なるだけ安く済まそうと飲みのスタイルが変化している。二日酔いによる飲酒運転を心配して、飲酒を控える人も多くなった。また、多くの出張客で賑わっていた中洲にとっては、九州新幹線開通をはじめとする交通事情の変化も影響を与えている。交通費の削減。福岡に1泊して帰るというスタイルはもはや稀。この上、高速道路の無料化ともなれば、悲観的にならざるを得ない。
取材を続けていると、7、8名ぐらいの団体客が入って来た。急に賑やかになる店内。今でもこうして志眞美ママの店を訪れるのは、地元のサラリーマンが中心だという。「来ていただける常連さんを大事にして、お店から中洲を盛り上げたい」と話すママ。元来、中洲は、大人の紳士たちの憩いの場だった。ここ数年、低俗化が進んでしまい、それが客離れの一因ともなっていたが、『愛されるべき憩いの場』は、しっかりと残っているようだ。
(つづく)
長丘 萬月(ながおか まんげつ)
1977年、福岡県生まれ。雑誌編集業を経て、2009年フリーライターへ転身。体を張った現場取材を通して、男の遊び文化を研究している。
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