<まずは歴史から知ってみろ――>
大島組(福岡市南区)経営者の逮捕劇から端を発し、暴力団との付き合いが認められた企業7社が役所から入札指名停止処分を受けた。7社のなかには「6カ月の指名停止ならばなんとか凌げるが、1年の処分なら廃業するしかない」という本音を漏らす経営者もいた。だが、福岡県・福岡市が1年の指名停止、国土交通省にいたっては無期停止に等しい処分(福岡県警が『暴力団との付き合いが根絶された』と認めるまでの期間の処分)という強烈な制裁が下った。前述の、経営者の淡い期待は粉砕されたのである。
処分を受けた7社とも、公共事業で飯を食べてきた会社だ。民間で商売しても、企業の存続は覚束ない。事業の継続は非常に困難であろう。新聞紙上やTV報道で接する限り、一般の方々には「7社とも暴力団フロント企業」という印象しか残っていないだろう。
ここで、既成のマスコミ報道とは違った観点からレポートすると、7社の関係者の大半が、在日韓国人であるということだ。また、今度の事件の暴力団関係者の大方も、在日出身者である。マスコミには全然触られていない、水面下にある歴史事実をまず知ってみよう。
<生まれ育ちが一緒。こなたは企業経営者へ、片やヤクザ親分へ>
7社の関係者は、多少は違うが、福岡市東区で生まれ育っている。戦後の貧しい時代に『在日韓国人』集落で助けあって生活してきた仲間たちだ。たとえば、東区西戸崎には在日集落がひしめいていたのだ。この地区では、意外と日本人の子供たちとの交友が行なわれていたと聞く。当時は日本人自身も貧困であったから、在日の方々は想像絶する厳しい生活をしていた。その苛酷な環境の下で、子供たちは逞しく育っていく。喧嘩もしたであろう。「在日」という一点で苛められるのを目撃したら、仲間で仕返しもした強烈な体験も共有したはずだ。
貧しい環境をバネにして、子どもたちは這い上がっていく。当時の社会情勢としては、「在日」への差別を色濃く残余していた。成功できる世界は限定されていたのだ。事業を起こすのも、数少ない方策の一つであった。パチンコ業で勝利した、在日のある経営者が次のように語る。「我々が事業を起こすのにも、このような遊戯業のようなものに限られていた」。だから、自立心のある連中は、起業の方向に踏み出した。一方で、「度胸と、頭の切れがある」者はヤクザの道に入り、組長までのぼりつめた者もたくさんいる。
入札指名停止された7社の経営者たちと暴力団関係者とは、ある意味では、「在日同志」として幼児時代から50年=半世紀の交友期間があるのだ。抑圧されてきた子供時代からの関係であるから、絆は強いものがあったのだろう。個人的な友好関係(ゴルフ・飲食・旅行)が活発だったことは想像される。
7社のうちのある経営者が、大島組社長の逮捕のときに悔しそうに証言してくれた。「コダマさん!!幼稚園のころからの付き合いをしてきたのだよ。ここにきて掌を返して知らんぷりはできないだろう」と鬱積の念をぶつけてきた。「でも、時代が変わったことを無視することは、経営者として許されることではないでしょう。貴方のところにも飛び火が必ずきます。そうなると、地獄へ連座することになりますよ。事業継続させる予定の息子さんにも、申し訳ないではありませんか」と叱責した。
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