<ボンボン自然派の戯言>
筆者の故郷近くの宮崎県児湯郡木城町に、1918年、『新しき村』が開かれた。これは文学史上有名な「白樺派」の中心をなした武者小路実篤が、ロマンを求めた集大成のユートピア地区であった。トルストイに魅かれた実篤は、「調和社会」、「階級闘争のない世界」を実現する社会として、この『新しき村』を建設した。大正初期に流行した社会主義の影響も強く受けている。が、所詮、日本に台頭しはじめた貴族階級の「ボンボン」たちによる道楽運動に終わった。実篤は、内縁関係にあった女性を木城村(当時)に残し、東京に帰った(埼玉で第二の『新しき村』建設には挑戦をした)。
「白樺派」には他に、志賀直哉、有島武郎、里見とんなどがいる。彼らに共通しているのは、明治維新の功績で成り上がった貴族階級の御曹司であるということだ。彼らは、苦労は知らないが、繊細な感受性で世のなかの矛盾に怒りを覚えた。若さの特権で社会改革の実践に踏み出そうとしたが、あえなく挫折した。また彼らは90歳前後まで長寿を全うしている。人生の後半は気楽な生活を送った、ということであろう。食うには不自由しなかったからだ。
<62歳まで母から年1.5億円の援助には驚き>
鳩山首相は62歳。実母から年間1億5,000万円の援助を受けていた。いや、援助ではなく「生前贈与」を受けていたのである。鳩山首相自身は「知らなかった」としているが、
秘書は政治資金として利用し、故人の名前などで操作しようとした(結局は贈与税を支払ったが)。「白樺派」の作家たちが「大正のボンボン」であれば、彼は「平成でなく昭和末期のボンボン」なのである。ボンボンは感受性が強い。社会正義に燃える。「社会は平等でなければならない」と「友愛」の理念を謳い上げる。これはこれで結構なことだ。リッチな階層で、鳩山氏のように「政治=社会変革」に没頭する例は少ないから、これだけでも生きざまは評価に値する。
一政治家レベルとして、「友愛」を高らかに叫びあげる(コーラスも達者だから、歌い上げる、か)ことにも存在価値はある。ところがだ、その鳩山氏が日本の権力のトップ=首相に就いた。そうなると「このボンボンに日本の進路を託していいのか!!」という不安が高まってくる。平時ならまだしも、日本はまさしく『大激変の時代』である。過去の手法は通じない。まったく新しい発想による決断が迫られる。こうなると、利害・利権・思惑の複雑な狭間で、蛮勇が必要となってくる。
「鳩山首相!!これこれしかじかで困るんですよ、その改革案は!!」と身近な友人政治家から頭を下げられたら、鬼になれるのか!?決断のチャンスを逸して「優柔不断な奴!!やはりボンボンだった」と烙印を押される可能性があるのではないか。麻生前首相も同じくボンボン。御曹司は、個人的には、みな人が良い。だが、組織のトップ、国の首相になると、「個人の人の良さ」という資質は関係なくなる。鬼の形相でスピーディに物事の変革を進め、選択を迫ることが求められる。
占うに、鳩山“御曹司”首相では、難局打破は無理だ。政権投げ出しの可能性が強いと見る。
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら