世界一の庭師 日本一の緑を愛する経営者
チェルシー・フラワーショー
―石原さんをここまで突き動かしてきた原動力とは。
石原 詳しくは拙著『世界一の庭師の仕事術』に書いている通りですが、長崎県で路面店を始めた後、何とか資金を集めて思案橋に店舗を出しました。20代で長崎一の花屋に成長させて30代で絶頂期を迎えましたが、40代に入り大手商社と東京で始めた合弁会社が失敗して多額の負債を抱えてしまいました。
私は花が好きで、心が燃える仕事をしたいと思っているときに、生け花の本流として知られる「池坊」に出会いました。そこで現在の仕事の基礎を築いていたわけですが、人生を原点から見つめ直す機会を得ることができたため、もう一度あのときの気持ちを取り戻して必死に働き始めたのです。
ある日、知り合いのお客さまから「パンジーを植えてくれる?」と頼まれました。これが庭造りを始めたきっかけです。1999年にテレビ東京の「TVチャンピオン〜春のガーデニング王選手権」に出場したことで、日本中で仕事をするようになりました。
―チェルシー・フラワーショーへの出場を決意したのはなぜですか。
石原 30代のときに旅行で訪れたニュージーランドや南アフリカで、街全体が森のなかに包まれていた印象を受け衝撃を受けました。それだけ街のなかに緑が溢れていたということです。
こうした仕事をどうすればよいのだろうかとずっと考えていましたが、45歳のときにイギリスでチェルシー・フラワーショーなる大会があり、世界からトップクラスのガーデナーが集まることを知りました。
そこで2003年に会場に訪れたのですが、一目見て衝撃が走りました。世界最高峰の庭とガーデナーを目の当たりにし、「必ずこの大会でゴールドメダルを取るんだ」と決意したのです。
―04年、実際に大会に参加されて何か変わりましたか。
石原 イギリスではチェルシー・フラワーショーの期間中は、誰がゴールドメダルをとるかという話題で持ちきりとなるくらい非常に著名な大会です。私も初挑戦ながら「源」という作品で日本では銀メダルに当たるシルバーギルトを受賞し、現地でさまざまなメディアが取り上げくれました。
しかし、いざ日本に帰国すると、空港には誰もおらず反応がありません。日本ではチェルシー・フラワーショーはまったく知られていなかったのです。残念で悔しかったのですが、大きな自信になったこともたしかです。シルバーギルトを取ったとはいえ、何も状況が変わらなかったことがかえって私の心に火をつけました。「次こそゴールドメダルを必ず取る」と思い、2度目の挑戦を決意して2年がかりで5,000万円の資金を集めて再び出場したのです。
【聞き手、文・構成:大根田 康介】
取材場所:風花東京 東京都港区南青山3-9-1 アブリム1F TEL: 03-6659-4093 FAX: 03-6659-4094 営業時間: 花屋/カフェ 9:30 ~19:00 ※カフェは11:00 ~ 営業時間: バー 19:00 ~ 24:00(日・祝定休) URL:http://www.kaza-hana.jp/ |
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