福岡地区内の生コンクリート関係者に話を聞くと、「どの業界も同じだろうが、生コン業界は一層苦しい年になるだろう。1964年に開催された東京オリンピックに向けてのインフラ整備による建設ラッシュで、生コン需要は60年ごろから活況となった。以降、景気拡大・『日本列島改造論』の影響で官公需が増大し、生コン業界は大変潤っていた。それはバブル崩壊の平成初期ごろまで続いた。ご存じの通り、90年度(90年4月~91年3月)の出荷量が1億9,799㎥と史上最高値をカウントして以降は減少の途をたどり、08年度はその当時の51%の出荷量。需要が約半分になっているのだから、工場も、そして製造に従事する人々も、当然半分にならねばならないことは算数が分かれば理解できる。だが工場経営者は、頭では判っていても、いざ“合理化、工場集約化”を実践するとなると拒む。前述した通り、生コンで潤った時代を知っているので、自社の工場を簡単に閉鎖・撤退、操業休止したくないという気持ちがどうしても前面に出る。例えが良くないかもしれないが、博打で大儲けして、その時の感覚を忘れることができずに博打をやめられない心境と似通っているのではないか。過去の栄華にこだわっていても進展はないのだが…」と切実な状況を語る。
新年度に向けては、生コン資材であるセメントや骨材の値上げ交渉が待ち受けている。「生コン出荷量が減少しているから、セメントや骨材の生産・出荷も当然減少し続けている。1円でも多く収益を上げたいから、当然のごとく値上げを要求してくるだろう。しかし、その値上げ幅を生コン価格に簡単には転嫁できない。毎度のことだが、とくに今年はお互いに厳しい価格交渉の場になるだろう」と前出の関係者は語る。
「今年は、本当に各工場存亡を賭けた年になるのではないですか?」との問いにも「その通りだ」との返答だった。ある福岡県内の協同組合は「週1回の理事会でも、以前は『息抜き』の会合でのんびりした雰囲気だったが、今は理事一同が眉間にシワを寄せて現状打開策を協議するというピリピリした雰囲気だ。とくに工場集約化に向けての話になると、その緊迫感がさらに高まる」という。少なくとも、今の共販システムに“おんぶに抱っこ”という意識でないことは理解できる。各工場の経営者によって濃淡はあるにせよ。
【河原 清明】
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