昨年の裁判員制度スタートに伴い、各メディアは事件報道における自主的な基準を作成し、裁判官や裁判員に予断を与える報道を戒めてきた。しかし、長年にわたる取材手法はそう簡単に変わるものではなく、課題も多い。
検察関係者や警察官に対し、夜討ち・朝駆けと称し記者が接触。捜査状況や事件の方向性を聞き出し、時に供述内容まで報じられる。明らかに捜査情報の漏えいであり、厳密に言えば公務員としての守秘義務違反であろう。裏づけも取らずに記事にすれば、それは単なる「リーク記事」でしかない。こうした取材活動については、議論の余地がある。
過剰なリーク報道は事件の真相をぼかすだけでなく、時の政治状況まで変えてしまう恐れがある。だが、報道が真実を追うことを怠れば、冤罪を許したり、あるいは巨悪の同義的責任を見逃すことにつながる。要は、国民の「知る権利」とどこまで折り合いをつけるかなのである。
一方、刑事事件については、現行以上に検察や警察による公式発表や説明が必要ではないだろうか。最大の問題は、捜査機関がマスコミを使って事件を「作る」ことである。リーク記事によって事件の実相が歪められた事例は枚挙にいとまがない。裏付けのない報道で人生を狂わされた人は少なくないのだ。守秘義務との兼ね合いや公判維持を考えると難しいことかもしれないが、改めて検討すべき課題であろう。
こうした観点から見ていくと、民主党の党を挙げての小沢氏擁護、検察・マスコミ批判は的外れと言うほかない。肝心の小沢氏が、きちんとした形で説明責任を果たしていないからである。
西松建設事件の時と違い、政権政党となった民主党側から検察の動きについて「国策捜査」と批判することは的外れ。検察は国の行政機関のひとつだからだ。問題になっているのは、連日、検察の捜査情報と思われる内容が報じられ、小沢氏が罪を犯したかのような印象を与えていることである。この点は西松建設事件のケースと同じであるが、当時の小沢氏の立場と現在とではまるで話が違う。小沢氏は幹事長とはいえ、この国の事実上の最高権力者なのだ。小沢氏に求められているのは土地購入資金についての合理的説明であり、積極的に疑惑を払拭する努力である。検察の事情聴取にも応じず、潔白を主張するのなら、堂々と事実関係を積み上げて見せればよい。23日にも予定される事情聴取で、小沢氏が何を話すのか、多くの国民が固唾をのんで見守っている。
政治家としての身の処し方と、法的な戦いは別の次元の話である。民主党全体が小沢氏に遠慮するという異様な雰囲気の中で、内閣、党をあげて検察やマスコミを批判することは慎むべきなのだ。
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