<父の死、そして福岡へ>
成功への確信はある。ただ、きっかけがなかった。大工仕事でも月収30万円を得ていた。これでも十分の収入である。昭和55年当時の大卒初任給はおよそ11万5,000円。その3倍も稼いでいたのである。遊び歩くのにも十分。マンション暮らしで悠々自適を満喫していた。いくつかの恋も経験し、仕事と遊び、その両方を楽しんでいた。それで満足してもよかった。半分は満足していた。心のどこかに成功への道は見えていたのだが、それから目を背けていたのである。
そんな折、黒木26歳のときに父親が肺がんになる。とても苦しむ様子が黒木の心を打った。何とかしてやりたい。少しはお金を持ってはいるが、抗がん剤治療を行なうには足りなかった。
「このとき、お金はあったほうがいいと痛切に感じました。お金がないからしてやれないこともある。私は無力さを感じました」
そして父親は最期のときを迎える。70歳だった。父親は黒木にこう言い残した。
「田舎暮らしは住みやすい。だが暮らしていくには不自由なところがある。お前は都会に行け」
契機である。これがきっかけとなった。頭に浮かんだのは、華やかな中洲の風景。ネオンがきらめく都会の景色。スターダストに集う若者たち。福岡しかない。そして福岡で一旗揚げてやる。
黒木は所有していたアパートを売り、宮崎をあとにする。ポケットに30万円を放り込んで、車1台で福岡を目指した。不安はなかった。絶対成功できると頭からつま先まで信じ込んでいたのである。仕事のあてなどない。特別なコネもない。ただ、若い自信と父親の言葉だけが、黒木の背を押したのである。
無謀とも思える行動を実行に移す力。これが黒木の原点なのかもしれない。そして自信。ともすると失敗しそうな危うさをものともしない意思の力が黒木にはあったのだ。ところが、現実は甘くはなかった。黒木は花の都で早速の挫折を味わうこととなる。
【柳 茂嘉】
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら