<2畳一間からの出発>
福岡に到着した黒木に、厳しい現実が待っていた。福岡を知っている、と言っても、ダンスホールなどの遊び場程度の知識である。虎の子の30万円を手に握りしめ、車で福岡の街に乗り込む。不退転の決意を内に秘めて、とりあえず知った街、中洲に顔を出した。中洲は、男の決意も知らないかのように艶やかだった。ふらっと店に入る。女性のいる店だった。
ぼられた。全運命を握る30万が半分に減ってしまった。困窮という壁が押し迫ってきた。黒木は車中で寝泊りしながら、あてもなく就職活動をした。生まれてはじめての経験だった。訓練校で得た大工の資格だけしかないにもかかわらず、現場監督としての働き口を探した。
従来工法の家づくりの技を身につけていたが、当時は新しい技術が次々と導入されていた時期であった。2×4やプレハブ。これまでの工法とは全く異なっていた。黒木は思ったのだ。これからは従来工法の建築が衰退していく。純木造の和風建築だけできても、物件にありつけなくなるかもしれない。そこで、経験はないが、現場監督の職を探したのである。
ところが、どこの会社もとりあってくれない。経験がない人間を雇うわけにはいかなかったからだ。1社、また1社と断られ続けたが、黒木がくじけることはなかった。心に秘めた己が野望を実現する第一歩。そう自分に言い聞かせ、明日を夢見て扉を叩き続けたのだ。
そうしているうちに、たまたま知り合った建築関係者が、ある工務店の社長に働き口を掛けあってくれた。縁と強運である。工務店の社長はいぶかしげながら雇ってくれることとなった。寮も用意してくれた。お金が底をつきかけていた黒木はすぐにでも働きたかったが、諸手続きがあるため1週間後からの雇用ということになった。車中泊が続く。けれども、黒木は希望に満ちていた。力を発揮する場が与えられたのだ。お金はすでにない。希望だけが頼りだった。
何とかジリ貧の1週間を乗り切り、寮に入ることができた。部屋は2畳。畳一枚と板張り。布団を敷いたらそれだけで身動きが取れないくらいの広さだ。トイレは共同で、風呂はない。過酷な住環境だが、黒木には十分だった。雨露がしのげる屋根があるだけで幸せだった。車から寮へのステップアップ。次の目標はこの部屋から出ることに決まった。
【柳 茂嘉】
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