1950年に勃発した朝鮮動乱による特需は、戦後間もない日本経済の復興に貢献した。とくに「八幡製鐵所」(後の新日鐵八幡)、小倉製鋼所(後の住金小倉製鋼所)などを擁する「鉄の町」・北九州は好景気に沸いた。井筒屋は、それらを背後に抱える商都「小倉」を代表するデパートとして繁栄し、飯塚、若松、八幡、浮羽、博多、久留米、中津などに次々に出店していった。
井筒屋が最後に出店を計画していたのは、新産都市の指定を受けて新日鉄大分などが進出し、人口50万人構想を掲げる大分市であった。しかし、用地取得が思うようにできず、当時絶好調であったトキハに楔を打ち込むことはできなかった。
一方、1950年後半からダイエーなどの安売りをするスーパーマーケットが続々と地方に誕生。価格競争の時代に突入することになった。
時代の流行をリードする華やかさを誇った百貨店の売り場からは、家電、家具、紳士服、おもちゃ、衣料、書籍などの部門が次々と専門店として抜けていき、今や百貨店ではなく高級衣料・雑貨を中心とした『五十貨店』となっている。
東京の西武百貨店・有楽町店、京都の阪急百貨店・京都店の閉店も相次いで発表されている。都会における百貨店の閉店以上に地方百貨店の経営環境は厳しく、時代の変遷とともにいずれは消えゆく運命にあるのかもしれない。
【北山 譲】
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら