年末に働いていた店がつぶれ、失業した状態で年を越したキャバクラ嬢から「仕事が見つかりました」という連絡が来た。彼女は元々某高級クラブで働いていた女の子だが、その店も昨年夏につぶれてしまい、知人の紹介を受けてラウンジ(キャバクラ)で働いていたのである。
「次のお店は前の店(年末閉店したキャバクラ)にいたときから声をかけてもらっていたクラブなんです。でも、一度雇ってもらったからには、簡単に店をやめるわけにはいけませんよね。かといって、店がつぶれてから「雇って欲しい」と言うのも虫がいい話で、気が進まなかったんですけど、幸い「ぜひ、来て欲しい」ということだったので・・・」。
そんな義理固い一面も中洲で身に付けたものだろう。彼女のように実力が認められている人材は、まだまだ働き口があるということだ。何はともあれ、仕事が見つかって良かった。
とはいえ、誰しもが彼女のように上手くはいっていない。同じ店で働いていて失業した仲間には、中洲を去っていく子もいたという。かろうじて生き残った子も、派遣コンパニオンになるのがせいぜいだったとか。しかし、この派遣コンパニオンの労働環境が今、かなりシビアになっている。主に人手が足りない店に派遣されるものであり、多くの店がヒマにあえいでいる今、厳しい状況になっているのは容易に察することができる。
実際に派遣コンパニオンをしている女の子に、話を聞いてみた。「毎日、ヘアメイクをしてから派遣元の待機場所に行きます。前もって仕事がある日を教えてもらえるような状況じゃないんです。行ってみないと仕事があるかどうか分かりません」。それは、保証も何もない日雇いの仕事。店から声がかからない日は無収入。容姿が良く接客もできてリピーターが取れる、そんな人材ではない限り仕事にありつくことはできない。完全な実力主義の世界である。
ある派遣会社では「事務所に来てくれれば、仕事があったら紹介するよ。でも正直、保証はできないね」と、理解を求めているらしい。そんな状況に耐えきれず、ひとりまたひとりとキャバクラ嬢が中洲を去っている。
「ニッパチ(2月、8月)」と言われる、飲食業界が一年で最も冷え込む時期が訪れた。毎年、経営者も従業員も腹をくくって耐え忍ぶ時期だ。状況が悪化している今、中洲で働く夜の蝶たち全体に大きな変化が訪れるかもしれない。
(つづく)
長丘 萬月(ながおか まんげつ)
1977年、福岡県生まれ。雑誌編集業を経て、2009年フリーライターへ転身。体を張った現場取材を通して、男の遊び文化を研究している。
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