1993(平成5)年、JR九州・小倉駅前の京町3丁目再開発の中核テナントとして『小倉そごう』が開業した。1979(昭和54)年に既に開業していた『黒崎そごう』(北九州市八幡西区黒崎)との挟撃を受けて、井筒屋の生き残りをかけた内憂外患の戦いが始まったのだ。
内憂は「博多井筒屋」の累積していく大赤字あり、外患は「そごう」との戦いである。そのため、井筒屋を支援する主力3行(旧富士・山口・福岡)から課長クラスの人材派遣(出向扱い)を受けて再建のテコ入れを図ったが、思うような改善にはならなかった。要は、3行からの人材受け入れは、他行からの融資引き揚げを阻止する役割と、仕入れ先に対する信用供与であった。
『両雄並び立たず』の諺がある。井筒屋と血みどろの戦いをしていた「そごう」が、2000年7月12日に民事再生法の申請を行ない、事実上の倒産をした。井筒屋は辛うじて生き残ったが、それまでの消耗戦で失ったものは多かった。
【北山 譲】
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