<順風満帆>
工務店からの顧客を奪うことはしなかった。自分のコンサルタント業での顧客だけで100人を数えていたのもその理由ではあるが、何よりも、お世話になった工務店に迷惑をかけたくなかったからだ。
「工務店のお客さまを持って独立する、という考えはありませんでした。これは、自分がそうされたら嫌だろうと思ったからです」
独立をして、名刺が「黒木公益計算事務所」の1枚だけになった。これまでの、副業をしながらの工務店勤務は、気分的にすっきりしたものではなかった。何も悪いことをしていないのに、腹の内を探られるような、気持ちの悪い感覚が常にまとわりついていたのだ。
これが、独立したことでなくなった。足かせがなくなったような気分だったに違いない。黒木は先述のとおり、一所懸命に仕事をこなした。
通信兵のような携帯電話をフル活用し、どこでも仕事をすすめていった。1カ月の電話代が50万円になることもしばしばだった。
このころの黒木の一日は、朝一便で東京に上がり、午前中にオーナーと打ち合わせ、昼ごはんを済ませて午後からゼネコン、不動産業者と打ち合わせ、夜は営業というものだった。1件にかける段取りのおよそすべてを、1日で終わらせていたという。そして、次の日は福岡に飛び同じように、その次の日は長崎に……といった多忙な日々を送っていた。
件数をこなしていくうちに、周囲に人が集まるようになってきた。家屋調査士や弁護士、司法書士、一級建築士たちだ。黒木は、彼らの存在がなければ仕事ができなかったと語る。
「事業計画やゼネコンの手配、販売してくれる不動産屋さんに入居補償をしてもらう契約をするまでが私の仕事になります。つづめて言うと、オーナーさんのやりたいことを肩代わりするのです。私自身は経験に基づくノウハウがありましたが、専門知識や必要な免許などは何もありませんでした。ですから、協力してくださる人たちが必ず必要だったのです」
人を引きつけておくために黒木は、協力者たちを毎晩のように夕食に誘い接待をした。黒木の仕事に携わった人たちは、建築士から下請けの業者に至るまで、大勢を率いて中洲に連れ出した。酒を入れ、腹を割って話しをする。仕事のことばかりではない。個人的な話も、バカ話も。本音で語り合うことで固い絆が結ばれた。ただし、そのためには金がかかった。最高で6,000万円ほど接待に使った年もあったという。
信頼できる協力者と、日々時間を追い越すように続ける仕事の数々。初めての決算で、黒木公益会計事務所は2億6,400万円を計上することとなった。
【柳 茂嘉】
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