ネットアイビーニュース

NET-IB NEWSネットアイビーニュース

サイト内検索


カテゴリで選ぶ
コンテンツで選ぶ
会社情報

コダマの核心

2010年は激変してこそ残る(20)~『ドラマ多し』のデベロッパー業界で40年生き残った新栄住宅(前)
コダマの核心
2010年2月12日 11:35

<“無駄使いせず、臆病で謙虚”が生き残る秘訣>

 2月5日夕方、新栄住宅(福岡市中央区)の40周年パーティが行なわれた。参加者は250名余、福岡銀行の谷頭取、柴戸専務、福岡中央銀行末松頭取などの要人も列席していた。木庭社長は挨拶の中で「本当に40年間、事業を継続できたのが不思議くらいです。福岡銀行さん始め金融機関の御支援、この席に御出席いただいた方々、社員の協力があってようやくここに辿りつけられました」と感謝の言葉を述べられた。挨拶中に昔の思いが走馬灯のように巡り感無量だっただろう。筆者自身も挨拶を聞きながら過去をじっくりと振り返り、「あんな社長、こんな社長がいたなあ」と思い返していた。

 マンション・住宅分譲(通称デペロッパー)業界で生き残ったのは、この新栄住宅のみである。この業界は本当に浮き沈みが激しい世界だ。地方だけでなく全国を見渡しても、財閥系以外で1975年以降にあった2回のバブル破裂を乗り切った例は少ない。そういう背景の中で新栄住宅が40周年を迎えられたのは奇跡といえる偉業なのである。また、同業界では2代目へのバトンタッチの成功例は皆無だ。木庭社長は、マンション分譲事業主体から家主・管理事業に業態をチェンジして後継者への事業継承の布石を打った。

 同期たちが倒れていくのを尻目に木庭社長が『企業40周年』を達せられた原因はどこにあるのか?結論から言えば、まず無駄使いをせずに自己資本力を高めてきたこと(度々レポートしてきたので詳細は省略する)である。
木庭社長は、一見強引な突撃型に見られるが、実は意外と臆病で慎重なタイプだ。社内及び関係者の意見に対し、いつも謙虚に耳を傾けてきた。この業界のオーナーたちに共通する行動パターンは、自分の勘で独走することである。だが木庭社長は、同業者の失敗をじっくりと研究して策を練ってきた。最大の企業躍進の転換点は、建売とマンション分譲を併営から戸建事業を切り捨てた時期であろう。

<東峰住宅産業の同僚たちも昇天>

 福岡における独立組一期のルーツは東峰住宅産業である。いろいろな説があるが、同オーナー財津氏は福岡地区の建売事業のパイオニアである。木庭社長はこの会社に就職し1970年に独立した。独立して5年位経ったときには、東峰住宅産業OBの独立組から「木庭社長は違う」と一目を置かれていた。
 筆者は最初の家を1976年に買った(当時は建売だから「建てる」ではなく「買った」という表現がぴったり)。その家を扱った不動産業者の社長は、木庭社長とかつて同僚であった。同社長は、その時すでに資金援助を受けていたようだったが、その後、会社を潰しガンで亡くなってしまった。
 東峰住宅産業のOB達はつわものぞろいであった。一世を風靡した方々も沢山いた。個性的な経営者たちが台頭していたが、大半が1991年のバブル破裂の局面をクリアできなかった。残念ながら淘汰されていったのだ。車中で銃による衝撃的な自殺の道を選んだ経営者もいた。
一番、残念でならないのは東峰住宅産業の行き詰まりである。第1次バブルを乗り越えたのにもかかわらずだ。業界の創業者格であった財津氏は無念の鬼籍に入った。

(つづく)


*記事へのご意見はこちら


※記事へのご意見はこちら

コダマの核心一覧
コダマの核心
2012年12月16日 19:32
コダマの核心
2012年12月 7日 17:48
コダマの核心
2012年12月 5日 11:25
コダマの核心
2012年12月 4日 16:34
「自爆民主党解散」シリーズ
2012年11月16日 09:40
コダマの核心
2012年11月 8日 10:13
コダマの核心
2012年10月30日 11:00
コダマの核心
2012年10月16日 07:00
コダマの核心
2012年10月15日 13:35
日本国家"根源的変革"の処方箋シリーズ
2012年10月14日 07:00
コダマの核心
2012年10月11日 10:27
コダマの核心
2012年10月10日 11:06
コダマの核心
2012年10月 5日 10:11
NET-IB NEWS メールマガジン 登録・解除
純広告用レクタングル

2012年流通特集号
純広告VT
純広告VT
純広告VT

IMPACT用レクタングル


MicroAdT用レクタングル