◇創刊号から黒字
創業20周年、発刊21年目に突入する局面では、磐石の体制でスタートを飾りたいのが経営者としての本音だろう。普通ならば社長業としてマネジメントを行なう傍らで、地元経済界との人脈作りなどに励んでいる姿が想像できる。しかし、長澤社長は昨年暮れから現場復帰し、新人スタッフらとともに昼夜を問わぬ仕事に励んでいる。
「昼間は新人スタッフに同行し、指導などを行なっています。また午後は、記事広告を作るまでの工程や準備などのイロハを教え込んでいます。もちろん毎月の発刊業務を行ないながらですが、大変と思ったことはありませんね」と、日々楽しく仕事をしているという現状を話す。
ガリヤでは昨年秋ごろ、スタッフが大量に辞職するという事態が発生した。発刊自体が危うくなった。諸事情が重なったことで、長澤社長自身が現場復帰せざるをえない状況となったのだ。新人スタッフの職歴は元キャビンアテンダントや教員など。業界経験はおろか、営業経験のないスタッフばかりである。しかし、長澤社長は笑ってこう話す。
「私の代わりに広告営業に行ってくれることだけでも感謝しています」。
新人の指導には時間と労力を惜しまない。新人社員が育ってくれることを信じて、奮闘している。
業界のパイオニア・ガリヤは、創刊当初から黒字を計上した伝説のフリーペーパーと言われる。創刊当時はさまざまな困難が立ちはだかっていた。某広告代理店出身の裏切り者という偽りのレッテルを貼られ、広告営業に行けば断られ、塩をまかれたこともあるという。肝心の印刷さえ請け負ってもらえないという妨害を乗り越え、20年前に1号目を発刊。苦難のなかでも黒字となり、以後はフリーペーパーブームの火付け役として、福岡で一つの文化を作った。
売上高は右肩上がりで伸び続け、10年前には念願の自社ビルを購入。裸一貫で創業し、ついには自社ビルを購入した女性経営者の姿は、「成功者」として注目を浴びていた時期もあった。
しかし、その後、続々と競合他社が登場。福岡県内に一時期は100以上のフリーペーパーが溢れ、全国的にもフリーペーパーの激戦区となっていった。同社も奮闘したものの、情報誌の弱体化は免れず、廃刊の危機に直面したのだった。
【朝倉】
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