<人の性は善なりや、悪なりや>
たった一個の転石。まったく予期していなかった事態が起こってしまった。冷静になって考えたら、あり得ないことではない。マンションの建築場所は二丈町の福吉。玄界灘を臨む美しい海岸だ。海岸には岩が転がっていることがままある。それが地中に埋まっていても何の不思議もない。ただ黒木が若かったのだ。そこまで考えが及んでいなかった。ちょうどその頃が件(くだん)の詐欺嫌疑をかけられていたときだった。運の巡りが悪かったというべきか。自然の偶然も運の大きな向かい風の中では味方についてくれなかったのかもしれない。この事態をさらに悪化させたもの、それは自然によるものではなかった。工期が遅れ、販売にかげりが見えた途端に、コンサルタントの依頼主である不動産会社社長が姿を消したのだ。
電話をかけても出ない。どこにいるかも分からない。黒木はゼネコンの監理者とともに依頼主の会社を訪れた。社長の姿は見当たらない。社員に問いただす。「いったい社長はどこにいるんだ、連絡がつかなくて困っている」。答えは「分かりません」の一点張りだった。九官鳥のように「社長はいない、連絡がつかないのは自分たちも同じで困っている」と繰り返す。黒木は途方に暮れた。工期の遅れは仕方がないが、完成させることは間違いない。ただ販売する業者であると同時にゼネコンへの支払いをするはずの人間がいない。このままではプロジェクトは座礁してしまう。時間だけが過ぎていった。
黒木は腹を決めて、依頼主の会社に再び乗り込んだ。このマンションの案件は自分がやるから販売の権限をくれ。黒木は半ば強引に依頼主の印鑑を押させる。黒木はゼネコンへの支払いを被ることで販売の権利を得たのである。平成3年9月、すでにローン審査も通過した客から苦情とともに購入辞退が相次いでいた最中、マンションは竣工した。黒木のもとにゼネコンへの支払いが重くのしかかる。コンサルタントとして自分が仕事を持ちかけたゼネコンには何としても迷惑をかけるわけにはいかなかったのだ。
事業とは一寸先が見えないものなのかも知れない。たった一個の石で頓挫し、それが工期を遅らせた。販売する機を逸した物件は魅力が薄れてキャンセルが相次いだ。加えてコンサルタントの依頼主が逃げる始末。とんだ大仕事となってしまった。
【柳 茂嘉】
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