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前途多難・老舗百貨店井筒屋の再建(7)~検証・新たな重荷「山口井筒屋」への新規出店(2)
特別取材
2010年2月16日 17:14

 井筒屋が昨年撤退を決めた久留米市の人口は約30万人、飯塚市の人口は約13万人。飯塚市の撤退は、市場規模から見てもむしろ「遅きに失した」感がある。しかし一方では、人口30万人の久留米井筒屋でさえ撤退を余儀なくされるという、百貨店経営の厳しい現実がある。

◇検証1:井筒屋とちまきやの関係

 1969年、ちまきやと井筒屋の共同出資による『井筒屋ちまきや』(山口県宇部市)を設立、「宇部ちまきや」を開業したが、井筒屋が出資を引き取り、73年に宇部井筒屋(現在は山口井筒屋宇部店)となった。ともに山口銀行がメインバンクであり、引き受けやすい関係にあった。

◇検証2:博多井筒屋の撤退

 JR九州による「新博多駅ビル開発プロジェクト」に伴い、井筒屋側は引き続き新ビルへの入居を主張したが、JR側はこれを拒否。阪急百貨店が進出することが決定した。実際には井筒屋に再進出する資金力はなく、財務立て直しのためには立ち退き補償金を必要としていた。補償金は、仲介した福岡銀行を主体に借入金返済に充当されている。
 博多井筒屋の閉店(07年3月)により赤字の垂れ流しは回避できるが、連結決算での売上高減少をカバーする必要があり、山口井筒屋の売上は魅力あるものであった。

◇検証3:主力銀行からの要請

 ちまきやの主力銀行である山口銀行は03年、ちまきや再建のため整理回収機構の企業再生ファンド機能を活用して、数十億円にも上る債権放棄を実施した。創業家の八木宗十郎社長は経営責任を取って退任。後任には、流通業界に通じた経歴とともに、現役時代から八木氏と親しい関係にあった山口銀行・田原頭取(当時)の強い要請を受け、西村清司氏(山口銀行取締役北九州支店長を退任後、丸久の副社長を歴任)が社長に就任した。
 しかし、その後ろ盾となった田原頭取が04年6月、わずか2年で頭取の座から降りることとなる。上記のことが伏線にあるのかもしれないが、頭取交代劇による内部の亀裂は深く、6年近く経過した今も、役員OBとの軋轢は強いと言われている。
 山口銀行の現経営陣に対してはっきりとものが言える西村社長の後任が見当たらないため、山口銀行から井筒屋に対して「ちまきや」引き取りを要請したとも言われている。いずれにせよ地方百貨店の業況は厳しさを増しており、ちまきやへの再度の債権放棄は山口銀行の経営責任を問われかねず、井筒屋への強い働きかけがあったことは否めない。
 結果、08年8月にちまきやは閉店し、その年の10月より「山口井筒屋」としてスタートを切ることになる。

(つづく)

【北山 譲】


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